源氏物語

不遇の八の宮、北の方とともに世を過ごす

The Lady at the Bridge

そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮お はしけり。母方などもやむごとなくものし たまひて、筋ことなるべきおぼえなどおは しけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛 れに、なかなかいとなごりなく、御後見などももの恨めしき 心々にて、かたがたにつけて世を背き去りつつ、公私に 拠りどころなくさし放たれたまへるやうなり。  北の方も、昔の大臣の御むすめなりける。あはれに心細く、 親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふにたとし へなきこと多かれど、古き御契りの二つなきばかりをうき世 の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。 北の方逝去 八の宮、姫君二人を養育する

年ごろ経るに、御子ものしたまはで心もと なかりければ、さうざうしくつれづれなる 慰めに、いかでをかしからむ児もがな、と 宮ぞ時々思しのたまひけるに、めづらしく女君のいとうつく しげなる生まれたまへり。これを限りなくあはれと思ひかし づききこえたまふに、さしつづきけしきばみたまひて、この たびは男にてもなど思したるに、同じさまにてたひらかには したまひながら、いといたくわづらひて亡せたまひぬ。宮、 あさましう思しまどふ。 「あり経るにつけても、いとはしたなくたへがたきこと多か る世なれど、見棄てがたくあはれなる人の御ありさま心ざま にかけとどめらるる絆にてこそ、過ぐし来つれ。独りとまり て、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなき人々をも、 独りはぐくみたてむほど、限りある身にて、いとをこがまし う人わろかるべきこと」と思したちて、本意も遂げまほしう

したまひけれど、見ゆづる人なくて残しとどめむをいみじう 思したゆたひつつ、年月も経れば、おのおのおよすけまさり たまふさま容貌のうつくしうあらまほしきを、明け暮れの 御慰めにて、おのづからぞ過ぐしたまふ。  後に生まれたまひし君をば、さぶらふ人々も、 「いでや、 をりふし心憂く」などうちつぶやきて、心に入れてもあつか ひきこえざりけれど、限りのさまにて、何ごとも思しわかざ りしほどながら、これをいと心苦しと思ひて、 「ただ、 この君をば形見に見たまひて、あはれと思せ」とばかり、た だ一言なむ宮に聞こえおきたまひければ、前の世の契りもつ らきをりふしなれど、さるべきにこそはありけめと、今はと 見えしまでいとあはれと思ひてうしろめたげにのたまひしを、 と思し出でつつ、この君をしもいとかなしうしたてまつりた まふ。容貌なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでもの したまひける。姫君は、心ばせ静かによしある方にて、見る

目もてなしも、気高く心にくきさまぞしたまへる。いたはし くやむごとなき筋はまさりて、いづれをも、さまざまに思ひ かしづききこえたまへど、かなはぬこと多く、年月にそへて 宮の内ものさびしくのみなりまさる。さぶらひし人も、たづ きなき心地するにえ忍びあへず、次々に、従ひてまかで散り つつ、若君の御乳母も、さる騒ぎにはかばかしき人をしも 選りあへたまはざりければ、ほどにつけたる心浅さにて、幼 きほどを見棄てたてまつりにければ、ただ、宮ぞはぐくみた まふ。  さすがに広くおもしろき宮の、池山などのけしきばかり昔 に変らでいといたう荒れまさるを、つれづれとながめたまふ。 家司などもむねむねしき人もなかりければ、とり繕ふ人もな きままに、草青やかに茂り、軒のしのぶぞ所え顔に青みわた れる。をりをりにつけたる花紅葉の色をも香をも、同じ心に 見はやしたまひしにこそ慰むことも多かりけれ、いとどしく

さびしく、よりつかむ方なきままに、持仏の御飾ばかりをわ ざとせさせたまひて、明け暮れ行ひたまふ。  かかる絆どもにかかづらふだに思ひの外に口惜しう、わが 心ながらもかなはざりける契りと思ゆるを、まいて、何にか 世の人めいて今さらにとのみ、年月にそへて世の中を思し離 れつつ、心ばかりは聖になりはてたまひて、故君の亡せたま ひにしこなたは、例の人のさまなる心ばへなど戯れにても思 し出でたまはざりけり。 「などかさしも。別るるほどの悲し びは、また世にたぐひなきやうにのみこそは思ゆべかめれど、 あり経ればさのみやは。なほ世人になずらふ御心づかひをし たまひて。いとかく見苦しくたづきなき宮の内も、おのづか らもてなさるるわざもや」と、人はもどききこえて、何くれ とつきづきしく聞こえごつことも類にふれて多かれど、聞こ しめし入れざりけり。  御念誦の隙々には、この君たちをもてあそび、やうやうお

よすけたまへば、琴ならはし、碁打ち、偏つぎなどはかなき 御遊びわざにつけても、心ばへどもを見たてまつりたまふに、 姫君は、らうらうじく、深く重りかに見えたまふ。若君は、 おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひ にいとうつくしう、さまざまにおはす。 春日、宮と姫君たち、水鳥によせて唱和す 春のうららかなる日影に、池の水鳥どもの 翼うちかはしつつおのがじし囀る声などを、 常ははかなきことと見たまひしかども、つ がひ離れぬをうらやましくながめたまひて、君たちに御琴ど も教へきこえたまふ。いとをかしげに、小さき御ほどに、と りどり掻き鳴らしたまふ物の音どもあはれにをかしく聞こゆ れば、涙を浮けたまひて、   「うち棄ててつがひさりにし水鳥のかりのこの世に   たちおくれけん 心づくしなりや」と、目おし拭ひたまふ。容貌いときよげに

おはします宮なり。年ごろの御行ひに痩せ細りたまひにたれ ど、さてしもあてになまめきて、君たちをかしづきたまふ御- 心ばへに、直衣の萎えばめるを着たまひて、しどけなき御さ まいと恥づかしげなり。  姫君、御硯をやをらひき寄せて、手習のやうに書きまぜた まふを、 「これに書きたまへ。硯には書きつけざなり」 とて紙奉りたまへば、恥ぢらひて書きたまふ。   いかでかく巣立ちけるぞと思ふにもうき水鳥のちぎ   りをぞ知る よからねど、そのをりはいとあはれなりけり。手は、生ひ先 見えて、まだよくもつづけたまはぬほどなり。 「若君と 書きたまへ」とあれば、いますこし幼げに、久しく書き出で たまへり。   泣く泣くもはねうち着する君なくはわれぞ巣守り  になるべかりける

御衣どもなど萎えばみて、御前にまた人もなく、いとさび しくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものした まふをあはれに心苦しう、いかが思さざらん。経を片手に持 たまひて、かつ読みつつ唱歌をしたまふ。姫君に琵琶、若君 に箏の御琴を。まだ幼けれど、常に合はせつつ習ひたまへば、 聞きにくくもあらで、いとをかしく聞こゆ。 八の宮の、政争に操られた悲運の半生 父帝にも女御にも、とく後れきこえたまひ て、はかばかしき御後見のとりたてたるお はせざりければ、才など深くもえ習ひたま はず。まいて、世の中に住みつく御心おきてはいかでかは知 りたまはむ。高き人と聞こゆる中にも、あさましうあてにお ほどかなる、女のやうにおはすれば、古き世の御宝物、祖父 大臣の御処分、何やかやと尽きすまじかりけれど、行く方も なくはかなく失せはてて、御調度などばかりなん、わざとう るはしくて多かりける。参りとぶらひきこえ、心寄せたてま

つる人もなし。つれづれなるままに、雅楽寮の物の師どもな どやうのすぐれたるを召し寄せつつ、はかなき遊びに心を入 れて、生ひ出でたまへれば、その方はいとをかしうすぐれた まへり。  源氏の大殿の御弟におはせしを、冷泉院の春宮におはし ましし時、朱雀院の大后の、横さまに思しかまへて、この宮 を世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきた てまつりたまひける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御仲ら ひにはさし放たれたまひにければ、いよいよかの御次々にな りはてぬる世にて、えまじらひたまはず。また、この年ごろ、 かかる聖になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり。 宮邸炎上し宇治に移住 阿闍梨に師事する かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。 いとどしき世に、あさましうあへなくて、 移ろひ住みたまふべき所の、よろしきもな かりければ、宇治といふ所によしある山里持たまへりけるに

渡りたまふ。思ひ棄てたまへる世な れども、今はと住み離れなんをあは れに思さる。  網代のけはひ近く、耳かしがまし き川のわたりにて、静かなる思ひに かなはぬ方もあれど、いかがはせむ。 花、紅葉、水の流れにも、心をやる たよりに寄せて、いとどしくながめ たまふより外のことなし。かく絶え籠りぬる野山の末にも、 昔の人ものしたまはましかば、と思ひきこえたまはぬをりな かりけり。    見し人も宿もけぶりになりにしをなにとてわが身  消え残りけん 生けるかひなくぞ思しこがるるや。  いとど、山重なれる御住み処に尋ね参る人なし。あやしき

下衆など、田舎びたる山がつどものみ、まれに馴れ参り仕う まつる。峰の朝霧晴るるをりなくて明かし暮らしたまふに、 この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり。才いとかしこく て、世のおぼえも軽からねど、をさをさ公事にも出で仕へず 籠りゐたるに、この宮のかく近きほどに住みたまひて、さび しき御さまに、尊きわざをせさせたまひつつ、法文を読みな らひたまへば、尊がりきこえて常に参る。年ごろ学び知りた まへることどもの、深き心を説き聞かせたてまつり、いよい よ、この世のいとかりそめにあぢきなきことを申し知らすれ ば、「心ばかりは蓮の上に思ひのぼり、濁りなき池にも 住みぬべきを、いとかく幼き人々を見棄てむうしろめたさば かりになむ、えひたみちにかたちをも変へぬ」など、隔てな く物語したまふ。 阿闍梨、八の宮の生活を院 薫らに報ず

この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひ て、御経など教へきこゆる人なりけり。京 に出でたるついでに参りて、例の、さるべ き文など御覧じて問はせたまふこともあるついでに、 「八の宮の、いとかしこく、内教の御才悟深くものしたまひ けるかな。さるべきにて生まれたまへる人にやものしたまふ らむ。心深く思ひすましたまへるほど、まことの聖の掟にな む見えたまふ」と聞こゆ。 「いまだかたちは変へたまは ずや。俗聖とか、この若き人々のつけたなる、あはれなるこ となり」などのたまはす。  宰相中将も、御前にさぶらひたまひて、我こそ、世の中 をばいとすさまじう思ひ知りながら、行ひなど人に目とどめ らるばかりは勤めず、口惜しくて過ぐし来れと人知れず思ひ つつ、俗ながら聖になりたまふ心の掟やいかにと、耳とどめ て聞きたまふ。 「出家の心ざしはもとよりものしたまへ

るを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦 しき女子どもの御上をえ思ひ棄てぬとなん、嘆きはべりたま ふ」
と奏す。  さすがに物の音めづる阿闍梨にて、 「げに、はた、この姫- 君たちの琴弾き合はせて遊びたまへる、川波に競ひて聞こえ はべるは、いとおもしろく、極楽思ひやられはべるや」と、 古代にめづれば、帝ほほ笑みたまひて、 「さる聖のあたりに 生ひ出でて、この世の方ざまはたどたどしからむと推しはか らるるを、をかしのことや。うしろめたく思ひ棄てがたく、 もてわづらひたまふらんを、もししばしも後れむほどは、譲 りやはしたまはぬ」などぞのたまはする。この院の帝は、十 の皇子にぞおはしましける。朱雀院の、故六条院にあづけき こえたまひし入道の宮の御例を思ほし出でて、 「かの君たち をがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。  中将の君、なかなか親王の思ひすましたまへらむ御心ばへ

を対面して見たてまつらばやと思ふ心ぞ深くなりぬる。さて 阿闍梨の帰り入るにも、 「必ず参りてもの習ひきこゆべく、 まづ内々にも気色たまはりたまへ」など語らひたまふ。 阿闍梨、院の使者を案内し八の宮に面会す 帝は、御言伝てにて、 「あはれなる御住ま ひを人づてに聞くこと」など聞こえたまう て、 世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲を君や   へだつる 阿闍梨、この御使を先に立てて、かの宮に参りぬ。なのめな る際のさるべき人の使だにまれなる山蔭に、いとめづらしく 待ちよろこびたまひて、所につけたる肴などして、さる方に もてはやしたまふ。御返し、   あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿   をこそかれ 聖の方をば卑下して聞こえなしたまへれば、なほ世に恨み残

りける、といとほしく御覧ず。  阿闍梨、中将の君の道心深げにものしたまふなど語りきこ えて、「法文などの心得まほしき心ざしなん、いはけなかり し齢より深く思ひながら、え避らず世にあり経るほど、公- 私に暇なく明け暮らし、わざと閉ぢ籠りて習ひ読み、おほ かたはかばかしくもあらぬ身にしも、世の中を背き顔ならむ も憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ紛らはしくて なむ過ぐしくるを、いとあり難き御ありさまを承り伝へしよ り、かく心にかけてなん頼みきこえさするなど、ねむごろに 申したまひし」など語りきこゆ。  宮、 「世の中をかりそめのことと思ひとり、厭はしき心の つきそむることも、わが身に愁へある時、なべての世も恨め しう思ひ知るはじめありてなん道心も起こるわざなめるを、 年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじ とおぼゆる身のほどに、さ、はた、後の世をさへたどり知り

たまふらんがあり難さ。ここには、さべきにや、ただ、厭ひ 離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなる ありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、 残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで過ぎぬべかめ るを、来し方行く末、さらにえたどるところなく思ひ知らる るを、かへりては心恥づかしげなる法の友にこそはものした まふなれ」
などのたまひて、かたみに御消息通ひ、みづから も参うでたまふ。 薫、八の宮を訪れる 二人の親交はじまる げに、聞きしよりもあはれに、住まひたま へるさまよりはじめて、いと仮なる草の庵 に、思ひなし、ことそぎたり。同じき山里 といへど、さる方にて心とまりぬべくのどやかなるもあるを、 いと荒ましき水の音波の響きに、もの忘れうちし、夜など心 とけて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹きはらひた り。 「聖だちたる御ためには、かかるしもこそ心とまらぬも

よほしならめ、女君たち、何心地して過ぐしたまふらむ。世 の常の女しくなよびたる方は遠くや」
と推しはからるる御あ りさまなり。  仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞおはすべかめる。す き心あらむ人は、気色ばみ寄りて、人の御心ばへをも見まほ しう、さすがにいかがとゆかしうもある御けはひなり。され ど、さる方を思ひ離るる願ひに山- 深く尋ねきこえたる本意なく、す きずきしきなほざり言をうち出で あざればまむも事に違ひてやなど 思ひ返して、宮の御ありさまのい とあはれなるをねむごろにとぶら ひきこえたまひ、たびたび参りた まひつつ、思ひしやうに、優婆塞 ながら行ふ山の深き心、法文など、

わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひ知らす。  聖だつ人才ある法師などは世に多かれど、あまりこはごは しうけ遠げなる宿徳の僧都僧正の際は、世に暇なくきすくに て、ものの心を問ひあらはさむもことごとしくおぼえたまふ、 また、その人ならぬ仏の御弟子の、忌むことを保つばかりの 尊さはあれど、けはひ卑しく言葉たみて、こちなげにもの馴 れたる、いとものしくて、昼は公事に暇なくなどしつつ、し めやかなる宵のほど、け近き御枕上などに召し入れ語らひた まふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、い とあてに心苦しきさまして、のたまひ出づる言の葉も、同じ 仏の御教をも、耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き 御悟りにはあらねど、よき人はものの心を得たまふ方のいと ことにものしたまひければ、やうやう見馴れたてまつりたま ふたびごとに、常に見たてまつらまほしうて、暇なくなどし てほど経る時は恋しくおぼえたまふ。

 この君のかく尊がりきこえたまへれば、冷泉院よりも常に 御消息などありて、年ごろ音にもをさをさ聞こえたまはず、 いみじくさびしげなりし御住み処に、やうやう人目見る時々 あり。をりふしにとぶらひきこえたまふこといかめしう、こ の君も、まづさるべき事につけつつ、をかしきやうにもまめ やかなるさまにも心寄せつかうまつりたまふこと、三年ばか りになりぬ。 晩秋、薫、八の宮不在の山荘を訪れる 秋の末つ方、四季にあててしたまふ御念仏 を、この川面は網代の波もこのごろはいと ど耳かしがましく静かならぬをとて、かの 阿闍梨の住む寺の堂に移ろひたまひて、七日のほど行ひた まふ。  姫君たちは、いと心細くつれづれまさりてながめたまひけ るころ、中将の君、久しく参らぬかな、と思ひ出できこえた まひけるままに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出

で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなく、やつれておは しけり。  川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけ り。入りもてゆくままに霧りふたがりて、道も見えぬしげ木 の中を分けたまふに、いと荒ましき風の競ひに、ほろほろと 落ち乱るる木の葉の露の散りかかるもいと冷やかに、人やり ならずいたく濡れたまひぬ。かかる歩きなども、をさをさな らひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。    山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわ  が涙かな 山がつのおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまは ず。柴の籬を分けつつ、そこはかとなき水の流れどもを踏み しだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、隠れ なき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの 家々ありける。

 近くなるほどに、その琴とも聞きわかれぬ物の音ども、い とすごげに聞こゆ。 「常にかく遊びたまふと聞くを、ついで なくて、親王の御琴の音の名高きもえ聞かぬぞかし。よきを りなるべし」と思ひつつ入りたまへば、琵琶の声の響きなり けり。黄鐘調に調べて、世の常の掻き合はせなれど、所から にや耳馴れぬ心地して、掻きかへす撥の音も、ものきよげに おもしろし。箏の琴、あはれになまめいたる声して、絶え絶 え聞こゆ。  しばし聞かまほしきに、忍びたまへど、御けはひしるく聞 きつけて、宿直人めく男なまかたくなしき出で来たり。 「しかじかなん籠りおはします。御消息をこそ聞こえさせめ」 と申す。 「なにか。しか限りある御行ひのほどを、紛らは しきこえさせむにあいなし。かく濡れ濡れ参りて、いたづら に帰らむ愁へを、姫君の御方に聞こえて、あはれとのたまは せばなむ慰むべき」とのたまへば、醜き顔うち笑みて、

「申させはべらむ」
とて立つを、 「しばしや」と召し寄せて、 「年ごろ、人づてにのみ聞きて、ゆかしく思ふ御琴の音ども を、うれしきをりかな、しばし、すこしたち隠れて聞くべき 物の隈ありや。つきなくさし過ぎて参りよらむほど、みなこ とやめたまひては、いと本意なからん」とのたまふ。御けは ひ、顔容貌の、さるなほなほしき心地にも、いとめでたくか たじけなくおぼゆれば、 「人聞かぬ時は、明け暮れかく なん遊ばせど、下人にても、都の方より参り立ちまじる人は べる時は、音もせさせたまはず。おほかた、かくて女たちお はしますことをば隠させたまひ、なべての人に知らせたて まつらじと思しのたまはするなり」と申せば、うち笑ひて、 「あぢきなき御もの隠しなり。しか忍びたまふなれど、皆- 人あり難き世の例に、聞き出づべかめるを」とのたまひて、 「なほしるべせよ。我はすきずきしき心などなき人ぞ。か くておはしますらむ御ありさまの、あやしく、げになべてに

おぼえたまはぬなり」
とこまやかにのたまへば、 「あな かしこ。心なきやうに後の聞こえやはべらむ」とて、あなた の御前は竹の透垣しこめて、みな隔てことなるを、教へ寄せ たてまつれり。御供の人は、西の廊に呼びすゑて、この宿直- 人あひしらふ。 薫、月下に姫君たちの姿をかいま見る あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし 押し開けて見たまへば、月をかしきほどに 霧りわたれるをながめて、簾を短く捲き上 げて、人々ゐたり。簀子に、いと寒げに、身細く萎えばめる 童一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人、一人柱に すこしゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥を手まさぐりにしつ つゐたるに、雲隠れたりつる月のにはかにいと明かくさし出 でたれば、 「扇ならで、これしても月はまねきつべかり けり」とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひ やかなるべし。添ひ臥したる人は、琴の上にかたぶきかかり

て、 「入る日をかへす撥こそありけれ、さま異にも思ひお よびたまふ御心かな」とて、うち笑ひたるけはひ、いますこ し重りかによしづきたり。 「およばずとも、これも月に 離るるものかは」など、はかなきことをうちとけのたまひか はしたるけはひども、さらによそに思ひやりしには似ず、い とあはれになつかしうをかし。昔物語などに語り伝へて、若 き女房などの読むをも聞くに、必ずかやうのことを言ひたる、 さしもあらざりけむ、と憎く推しはからるるを、げにあはれ なるものの隈ありぬべき世なりけりと、心移りぬべし。  霧の深ければ、さやかに見ゆべくもあらず。また、月さし 出でなんと思すほどに、奥の方より、「人おはす」と告げき こゆる人やあらむ、簾おろしてみな入りぬ。驚き顔にはあら ず、なごやかにもてなしてやをら隠れぬるけはひども、衣の 音もせずいとなよらかに心苦しくて、いみじうあてにみやび かなるをあはれと思ひたまふ。

 やをら立ち出でて、京に、御車率て参るべく、人走らせつ。 ありつる侍に、 「をりあしく参りはべりにけれど、なかな かうれしく、思ふことすこし慰めてなむ。かくさぶらふよし 聞こえよ。いたう濡れにたるかごとも聞こえさせむかし」と のたまへば、参りて聞こゆ。 薫、大君と対面、交誼を請う 大君応ぜず かく見えやしぬらんとは思しも寄らで、う ちとけたりつる事どもを聞きやしたまひつ らむ、といといみじく恥づかし。あやしく、 かうばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひがけぬほどなれば、お どろかざりける心おそさよ、と心もまどひて恥ぢおはさうず。 御消息など伝ふる人も、いとうひうひしき人なめるを、をり からにこそよろづのこともと思いて、まだ霧の紛れなれば、 ありつる御簾の前に歩み出でて、ついゐたまふ。山里びたる 若人どもは、さし答へむ言の葉もおぼえで、御褥さし出づる さまもたどたどしげなり。 「この御簾の前にははしたなく

はべりけり。うちつけに浅き心ばかりにては、かくも尋ね参 るまじき山のかけ路に思うたまふるを、さま異にてこそ。か く露けき旅を重ねては、さりとも、御覧じ知るらむとなん頼 もしうはべる」
と、いとまめやかにのたまふ。  若き人々の、なだらかにもの聞こゆべきもなく、消えかへ りかかやかしげなるもかたはらいたければ、女ばらの奥深き を起こしいづるほど久しくなりて、わざとめいたるも苦しう て、 「何ごとも思ひ知らぬありさまにて、知り顔にもいか がは聞こゆべく」と、いとよしあり、あてなる声して、ひき 入りながらほのかにのたまふ。 「かつ知りながら、うきを 知らず顔なるも世のさがと思うたまへ知るを、一ところしも あまりおぼめかせたまふらんこそ、口惜しかるべけれ。あり 難う、よろづを思ひすましたる御住まひなどに、たぐひきこ えさせたまふ御心の中は、何ごとも涼しく推しはかられはべ れば、なほかく忍びあまりはべる深さ浅さのほども分かせた

まはんこそかひははべらめ。世の常のすきずきしき筋には思 しめし放つべくや。さやうの方は、わざとすすむる人はべり とも、なびくべうもあらぬ心強さになん。おのづから聞こし めしあはするやうもはべりなん。つれづれとのみ過ぐしはべ る世の物語も、聞こえさせどころに頼みきこえさせ、また、 かく世離れてながめさせたまふらん御心の紛らはしには、さ しもおどろかさせたまふばかり聞こえ馴れはべらば、いかに 思ふさまにはべらむ」
など多くのたまへば、つつましく答へ にくくて、起こしつる老人の出で来たるにぞゆづりたまふ。 老女房弁、薫に応対し、昔語りをする たとしへなくさし過ぐして、 「あなかた じけなや。かたはらいたき御座のさまにも はべるかな。御簾の内にこそ。若き人々は、 もののほど知らぬやうにはべるこそ」など、したたかに言ふ 声のさだ過ぎたるも、かたはらいたく君たちは思す。 「いと もあやしく世の中に住まひたまふ人の数にもあらぬ御ありさ

まにて、さもありぬべき人々だに、とぶらひ数まへきこえた まふも見え聞こえずのみなりまさりはべるめるに、あり難き 御心ざしのほどは、数にもはべらぬ心にも、あさましきまで 思ひたまへはべるを、若き御心地にも思し知りながら、聞こ えさせたまひにくきにやはべらむ」
と、いとつつみなくもの 馴れたるもなま憎きものから、けはひいたう人めきて、よし ある声なれば、 「いとたづきも知らぬ心地しつるに、うれし き御けはひにこそ。何ごとも、げに思ひ知りたまひける頼み、 こよなかりけり」とて、よりゐたまへるを、几帳のそばより 見れば、曙のやうやうものの色分かるるに、げにやつしたま へると見ゆる狩衣姿のいと濡れしめりたるほど、うたてこの 世のほかの匂ひにやと、あやしきまで薫り満ちたり。  この老人はうち泣きぬ。 「さし過ぎたる罪もや、と思う たまへ忍ぶれど、あはれなる昔の御物語の、いかならむつい でにうち出できこえさせ、片はしをもほのめかし知ろしめさ

せむと、年ごろ念誦のついでにもうちまぜ思うたまへわたる 験にや、うれしきをりにはべるを、まだきにおぼほれはべる 涙にくれて、えこそ聞こえさせずはべりけれ」
と、うちわな なく気色、まことにいみじくもの悲しと思へり。おほかた、 さだ過ぎたる人は涙もろなるものとは見聞きたまへど、いと かうしも思へるもあやしうなりたまひて、 「ここにかく参 ることはたび重なりぬるを、かくあはれ知りたまへる人もな くてこそ、露けき道のほどに独りのみそぼちつれ。うれしき ついでなめるを、言な残いたまひそかし」とのたまへば、 「かかるついでしもはべらじかし。また、はべりとも、夜の 間のほど知らぬ命の頼むべきにもはべらぬを。さらば、ただ、 かかる古者世にはべりけりとばかり知ろしめされはべらなむ。 三条宮にはべりし小侍従はかなくなりはべりにけるとほの聞 きはべりし。その昔睦ましう思うたまへし同じほどの人多く 亡せはべりにける世の末に、遙るなる世界より伝はり参うで

来て、この五六年のほどなむ、これにかくさぶらひはべる。 知ろしめさじかし、このごろ藤大納言と申すなる御兄の右- 衛門督にて隠れたまひにしは。もののついでなどにや、かの 御上とて聞こしめし伝ふることもはべらむ。過ぎたまひてい くばくも隔たらぬ心地のみしはべる。そのをりの悲しさも、 まだ袖のかわくをりはべらず思うたまへらるるを、手を折り て数へはべれば、かく大人しくならせたまひにける御齢のほ ども夢のやうになん。かの権大納言の御乳母にはべりしは、 弁が母になむはべりし。朝夕に仕うまつり馴れはべりしに、 人数にもはべらぬ身なれど、人に知らせず、御心よりはた余 りけることををりをりうちかすめのたまひしを、今は限りに なりたまひにし御病の末つ方に召し寄せて、いささかのたま ひおくことなむはべりしを、聞こしめすべきゆゑなん一事は べれど、かばかり聞こえ出ではべるに、残りを、と思しめす 御心はべらば、のどかになん聞こしめしはてはべるべき。若

き人々もかたはらいたく、さし過ぎたりとつきしろひはべめ るもことわりになむ」
とて、さすがにうち出でずなりぬ。 薫、弁の昔語りに不審を抱き再会を約束す あやしく、夢語、巫女やうのものの問はず 語りすらむやうにめづらかに思さるれど、 あはれにおぼつかなく思しわたる事の筋を 聞こゆれば、いと奥ゆかしけれど、げに人目もしげし、さし ぐみに、古物語にかかづらひて夜を明かしはてむも、こちご ちしかるべければ、 「そこはかと思ひわくことはなきもの から、いにしへの事と聞きはべるも、ものあはれになん。さ らば必ずこの残り聞かせたまへ。霧晴れゆかばはしたなかる べきやつれを、面なく御覧じとがめられぬべきさまなれば。 思うたまふる心のほどよりは、口惜しうなむ」とて立ちたま ふに、かのおはします寺の鐘の声、かすかに聞こえて、霧い と深くたちわたれり。 薫と大君、心々をこめて歌を贈答する

峰の八重雲思ひやる隔て多くあはれなるに、 なほこの姫君たちの御心の中ども心苦しう、 何ごとを思し残すらむ、かくいと奥まりた まへるもことわりぞかしなどおぼゆ。   「あさぼらけ家路も見えずたづねこし槇の尾山は霧こ   めてけり 心細くもはべるかな」と、たち返りやすらひたまへるさまを、 都の人の目馴れたるだになほいとことに思ひきこえたるを、 まいていかがはめづらしう見ざらん。御返り聞こえ伝へにく げに思ひたれば、例のいとつつましげにて、   雲のゐる峰のかけ路を秋霧のいとど隔つるころにも  あるかな すこしうち嘆いたまへる気色浅からずあはれなり。  何ばかりをかしきふしは見えぬあたりなれど、げに心苦し きこと多かるにも、明かうなりゆけば、さすがに直面なる心-

地して、 「なかなかなるほどに承りさしつること多かる残 りは、いますこし面馴れてこそは、恨みきこえさすべかめれ。 さるは、かく世の人めいてもてなしたまふべくは、思はずに もの思しわかざりけり、と恨めしうなん」とて、宿直人がし つらひたる西面におはしてながめたまふ。 「網代は人騒がしげなり。されど氷魚も寄らぬにやあらむ、 すさまじげなるけしきなり」と、御供の人々見知りて言ふ。 あやしき舟どもに柴刈り積み、おのおの何となき世の営みど もに行きかふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる、誰 も思へば同じごとなる世の常なさなり。我は浮かばず、玉の 台に静けき身と思ふべき世かは、と思ひつづけらる。  硯召して、あなたに聞こえたまふ。   「橋姫のこころを汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡  れぬる ながめたまふらむかし」とて、宿直人に持たせたまへり。い

と寒げに、いららぎたる顔して持てまゐる。御返り、紙の香 などおぼろけならむは恥づかしげなるを、ときをこそかかる をりは、とて、   「さしかへる宇治の川長朝夕のしづくや袖をくたしは  つらむ 身さへ浮きて」と、いとをかしげに書きたまへり。まほにめ やすくものしたまひけり、と心とまりぬれど、 「御車率て参 りぬ」と、人々騒がしきこゆれば、宿直人ばかりを召し寄せ て、 「帰りわたらせたまはむほどに、必ず参るべし」など のたまふ。濡れたる御衣どもは、みなこの人に脱ぎかけたま ひて、取りに遣はしつる御直衣に奉りかへつ。 薫帰京の後宇治と文通 匂宮に告げ語る 老人の物語、心にかかりて思し出でらる。 思ひしよりはこよなくまさりて、をかしか りつる御けはひども面影にそひて、なほ思 ひ離れがたき世なりけり、と心弱く思ひ知らる。御文奉りた

まふ。懸想だちてもあらず、白き色紙の厚肥えたるに、筆は ひきつくろひ選りて、墨つき見どころありて書きたまふ。   うちつけなるさまにや、とあいなくとどめはべりて、  残り多かるも苦しきわざになむ。かたはし聞こえおきつ  るやうに、今よりは御簾の前も心やすく思しゆるすべく  なむ。御山籠りはてはべらむ日数も承りおきて、いぶせ  かりし霧のまよひもはるけはべらむ。 などぞ、いとすくよかに書きたまへる。左近将監なる人、御- 使にて、 「かの老人たづねて、文もとらせよ」とのたまふ。 宿直人が寒げにてさまよひしなどあはれに思しやりて、大き なる檜破子やうのものあまたせさせたまふ。  またの日、かの御寺にも奉りたまふ。山籠りの僧ども、こ のごろの嵐にはいと心細く苦しからむを、さておはしますほ どの布施賜ふべからん、と思しやりて、絹綿など多かりけり。 御行ひはてて出でたまふ朝なりければ、行ひ人どもに、綿、

絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、あるかぎりの大- 徳たちに賜ふ。  宿直人、かの御脱ぎ棄ての艶にいみじき狩の御衣ども、え ならぬ白き綾の御衣のなよなよといひ知らず匂へるをうつし 着て、身を、はた、えかへぬものなれば、似つかはしからぬ 袖の香を人ごとに咎められ、めでらるるなむ、なかなかとこ ろせかりける。心にまかせて身をやすくもふるまはれず、い とむくつけきまで人のおどろく匂ひを、失ひてばやと思へど、 ところせき人の御移り香にて、えも濯ぎ棄てぬぞ、あまりな るや。  君は、姫君の御返り事、いとめやすく児めかしきををかし く見たまふ。宮にも、かく御消息ありきなど人々聞こえさせ 御覧ぜさすれば、 「何かは。懸想だちて、もてないたま はむも、なかなかうたてあらむ。例の若人に似ぬ御心ばへな めるを、亡からむ後もなど、一言うちほのめかしてしかば、

さやうにて心ぞとめたらむ」
などのたまひけり。御みづから も、さまざまの御とぶらひの、山の岩屋にあまりしことなど のたまへるに、参うでんと思して、三の宮の、かやうに奥ま りたらむあたりの見まさりせむこそをかしかるべけれと、あ らましごとにだにのたまふものを、聞こえはげまして、御心 騒がしたてまつらむ、と思して、のどやかなる夕暮に参りた まへり。  例の、さまざまなる御物語聞こえかはしたまふついでに、 宇治の宮の事語り出でて、見し暁のありさまなどくはしく聞 こえたまふに、宮いと切にをかしと思いたり。さればよ、と 御気色を見て、いとど御心動きぬべく言ひつづけたまふ。 「さて、そのありけん返り事は、などか見せたまはざりし。 まろならましかば」と恨みたまふ。 「さかし。いとさまざ ま御覧ずべかめる端をだに、見せさせたまはぬ。かのわたり は、かく、いとも埋もれたる身に、ひき籠めてやむべきけは

ひにもはべらねば、必ず御覧ぜさせばやと思ひたまふれど、 いかでか尋ねよらせたまふべき。かやすきほどこそ、すかま ほしくは、いとよくすきぬべき世にはべりけれ。うち隠ろへ つつ多かめるかな。さる方に見どころありぬべき女の、もの 思はしき、うち忍びたる住み処ども、山里めいたる隈などに、 おのづからはべるべかめり。この聞こえさするわたりは、い と世づかぬ聖ざまにて、こちごちしうぞあらむと、年ごろ思 ひ侮りはべりて、耳をだにこそとどめはべらざりけれ。ほの かなりし月影の見劣りせずは、まほならんはや。けはひあり さま、はた、さばかりならむをぞ、あらまほしきほどとおぼ えはべるべき」
など聞こえたまふ。  はてはては、まめだちていとねたく、おぼろけの人に心移 るまじき人のかく深く思へるを、おろかならじとゆかしう思 すこと限りなくなりたまひぬ。 「なほ、またまた、よくけ しき見たまへ」と、人をすすめたまひて、限りある御身のほ

どのよだけさを、厭はしきまで心もとなしと思したれば、を かしくて、 「いでや、よしなくぞはべる。しばし世の中に心 とどめじと思うたまふるやうある身にて、なほざりごともつ つましうはべるを、心ながらかなはぬ心つきそめなば、おほ きに思ひに違ふべき事なむはべるべき」と聞こえたまへば、 「いで、あなことごとし。例のおどろおどろしき聖詞見 はててしがな」とて笑ひたまふ。心の中には、かの古人のほ のめかしし筋などの、いとどうちおどろかされてものあはれ なるに、をかしと見ることも、めやすしと聞くあたりも、何 ばかり心にもとまらざりけり。 薫、八の宮に対面 姫君の後見を託される 十月になりて、五六日のほどに宇治へ参う でたまふ。 「網代をこそ、このごろは御覧 ぜめ」と聞こゆる人々あれど、 「何か、 その蜉蝣にあらそふ心にて、網代にも寄らむ」と、そぎ棄て たまひて、例の、いと忍びやかにて出で立ちたまふ。かろら

かに網代車にて、謙*の直衣指貫縫はせて、ことさらび着たま へり。  宮待ちよろこびたまひて、所につけたる御饗など、をかし うしなしたまふ。暮れぬれば、大殿油近くて、さきざき見さ したまへる文どもの深きなど、阿闍梨も請じおろして、義な ど言はせたまふ。うちもまどろまず、川風のいと荒ましきに、 木の葉の散りかふ音、水の響きなど、あはれも過ぎて、もの 恐ろしく心細き所のさまなり。  明け方近くなりぬらんと思ふほどに、ありししののめ思ひ 出でられて、琴の音のあはれなることのついでつくり出でて、 「前のたび霧にまどはされはべりし曙に、いとめづらしき物 の音、一声うけたまはりし残りなむ、なかなかにいといぶか しう、飽かず思うたまへらるる」など聞こえたまふ。 「色をも香をも思ひ棄ててし後、昔聞きしこともみな忘れて なむ」とのたまへど、人召して琴とりよせて、 「いとつ

きなくなりにたりや。しるべする物の音につけてなん、思ひ 出でらるべかりける」
とて、琵琶召して、客人にそそのかし たまふ。取りて調べたまふ。 「さらに、ほのかに聞きはべ りし同じものとも、思うたまへられざりけり。御琴の響きか らにやとこそ思うたまへしか」とて、心とけても掻きたてた まはず。 「いで、あなさがなや。しか御耳とまるばかり の手などは、いづくよりかここまでは伝はり来む。あるまじ き御ことなり」とて、琴掻き鳴らしたまへる、いとあはれに 心すごし。かたへは、峰の松風のもてはやすなるべし。いと たどたどしげにおぼめきたまひて、心ばへある手ひとつばか りにてやめたまひつ。   「このわたりに、おぼえなくて、をりをりほのめく箏 の琴の音こそ、心得たるにや、と聞くをりはべれど、心とど めてなどもあらで、久しうなりにけりや。心にまかせて、お のおの掻き鳴らすべかめるは。川波ばかりやうち合はすらむ。

論なう、物の用にすばかりの拍子などもとまらじとなむおぼ えはべる」
とて、 「掻き鳴らしたまへ」と、あなたに聞 こえたまへど、思ひ寄らざりし独り琴を、聞きたまひけんだ にあるものを、いとかたはならむ、とひき入りつつ、みな聞 きたまはず。たびたびそそのかしきこえたまへど、とかく聞 こえすさびてやみたまひぬめれば、いと口惜しうおぼゆ。  そのついでにも、かくあやしう世づかぬ思ひやりにて過ぐ すありさまどもの、思ひの外なることなど、恥づかしう思い たり。 「人にだにいかで知らせじ、とはぐくみ過ぐせど、 今日明日とも知らぬ身の、残り少なさに、さすがに、行く末- 遠き人は、落ちあぶれてさすらへんこと、これのみこそ、げ に世を離れん際の絆なりけれ」と、うち語らひたまへば、心- 苦しう見たてまつりたまふ。「わざとの御後見だち、はか ばかしき筋にはべらずとも、うとうとしからず思しめされん となむ思うたまふる。しばしもながらへはべらむ命のほどは、

一言も、かくうち出できこえさせてむさまを、違へはべるま じくなむ」
など申したまへば、 「いとうれしきこと」と 思しのたまふ。 薫、弁に対面、柏木の遺書を手渡される さて、暁方の宮の御行ひしたまふほどに、 かの老人召し出でてあひたまへり。姫君の 御後見にてさぶらはせたまふ、弁の君とぞ いひける。年は六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかに ゆゑあるけはひして、ものなど聞こゆ。故権大納言の君の、 世とともにものを思ひつつ、病づきはかなくなりたまひにし ありさまを聞こえ出でて、泣くこと限りなし。 「げに、よそ の人の上と聞かむだにあはれなるべき古事どもを、まして年 ごろおぼつかなくゆかしう、いかなりけんことのはじめにか と、仏にもこのことをさだかに知らせたまへ、と念じつる験 にや、かく夢のやうにあはれなる昔語をおぼえぬついでに聞 きつけつらむ」と思すに、涙とどめがたかりけり。

「さても、かく、その世の心知りたる人も、残りたまへり けるを。めづらかにも恥づかしうも、おぼゆることの筋に、 なほ、かく言ひ伝ふるたぐひやまたもあらむ。年ごろ、かけ ても聞きおよばざりける」とのたまへば、 「小侍従と弁と 放ちて、また知る人はべらじ。一言にても、また、他人にう ちまねびはべらず。かくものはかなく、数ならぬ身のほどに はべれど、夜昼かの御かげにつきたてまつりてはべりしかば、 おのづからもののけしきをも見たてまつりそめしに、御心よ りあまりて思しける時々、ただ二人の中になん、たまさかの 御消息の通ひもはべりし。かたはらいたければ、くはしく聞 こえさせず。今はのとぢめになりたまひて、いささか、のた まひおくことのはべりしを、かかる身には置き所なく、いぶ せく思うたまへわたりつつ、いかにしてかは聞こしめし伝ふ べきと、はかばかしからぬ念誦のついでにも思うたまへつる を、仏は世におはしましけりとなん思うたまへ知りぬる。御-

覧ぜさすべき物もはべり。今は、何かは、焼きも棄てはべり なむ、かく朝夕の消えを知らぬ身の、うち棄てはべりなば、 落ち散るやうもこそと、いとうしろめたく思うたまふれど、 この宮わたりにも、時々ほのめかせたまふを、待ち出でたて まつりてしかば、すこし頼もしく、かかるをりもやと念じは べりつる力出で参うできてなむ。さらに、これは、この世の 事にもはべらじ」
と、泣く泣くこまかに、生まれたまひける ほどのことも、よくおぼえつつ聞こゆ。 「むなしうなりたまひし騒ぎに、母にはべりし人は、や がて病づきてほども経ず隠れはべりにしかば、いとど思うた まへ沈み、藤衣裁ち重ね、悲しきことを思ひたまへしほどに、 年ごろよからぬ人の心をつけたりけるが、人をはかりごちて、 西の海のはてまでとりもてまかりにしかば、京のことさへ跡 絶えて、その人もかしこにて亡せはべりにし後、十年あまり にてなん、あらぬ世の心地してまかり上りたりしを、この宮

は、父方につけて、童より参り通ふゆゑはべりしかば、今は、 かう、世にまじらふべきさまにもはべらぬを、冷泉院の女御- 殿の御方などこそは、昔聞き馴れたてまつりしわたりにて、 参り寄るべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、え さし出ではべらで、深山隠れの朽木になりにてはべるなり。 小侍従はいつか亡せはべりにけん。その昔の若ざかりと見は べりし人は、数少なくなりはべりにける末の世に、多くの人 に後るる命を、悲しく思ひたまへてこそ、さすがにめぐらひ はべれ」
など聞こゆるほどに、例の、明けはてぬ。 「よし、 さらば、この昔物語は尽きすべくなんあらぬ、また、人聞か ぬ心やすき所にて聞こえん。侍従といひし人は、ほのかにお ぼゆるは、五つ六つばかりなりしほどにや、にはかに胸を病 みて亡せにきとなむ聞く。かかる対面なくは、罪重き身にて 過ぎぬべかりけること」などのたまふ。  ささやかにおし巻き合はせたる反故どもの、黴くさきを袋

に縫ひ入れたるとり出でて奉る。 「御前にて失はせたまへ。 我なほ生くべくもあらずなりにたり、とのたまはせて、この 御文をとり集めて賜はせたりしかば、小侍従に、またあひ見 はべらむついでに、さだかに伝へ参らせむと思ひたまへしを、 やがて別れはべりにしも、私事には飽かず悲しうなん思うた まふる」と聞こゆ。つれなくて、これは隠いたまひつ。かや うの古人は、問はず語りにや、あやしきことの例に言ひ出づ らむ、と苦しく思せど、かへすがへすも散らさぬよしを誓ひ つる、さもや、とまた思ひ乱れたまふ。  御粥強飯などまゐりたまふ。昨日は暇日なりしを、今日は 内裏の御物忌もあきぬらん、院の女一の宮、悩みたまふ御と ぶらひに必ず参るべければ、かたがた暇なくはべるを、また このごろ過ぐして、山の紅葉散らぬ前に参るべきよし聞こえ たまふ。 「かく、しばしば立ち寄らせたまふ光に、山の 蔭も、すこしもの明きらむる心地してなん」など、よろこび

きこえたまふ。 薫、柏木の遺言を読み、母宮を訪れる 帰りたまひて、まづこの袋を見たまへば、 唐の浮線綾を縫ひて、「上」といふ文字を 上に書きたり。細き組して口の方を結ひた るに、かの御名の封つきたり。開くるも恐ろしうおぼえたま ふ。いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返り事、 五つ六つぞある。さては、かの御手にて、病は重く限りにな りにたるに、またほのかにも聞こえむこと難くなりぬるを、 ゆかしう思ふことはそひにたり、御かたちも変りておはしま すらむが、さまざま悲しきことを、陸奥国紙五六枚に、つぶ つぶとあやしき鳥の跡のやうに書きて、   目の前にこの世をそむく君よりもよそにわかるる魂   ぞかなしき また、端に、 「めづらしく聞きはべる二葉のほども、うし ろめたう思うたまふる方はなけれど、

 命あらばそれとも見まし人しれぬ岩根にとめし松の生ひ  すゑ」
書きさしたるやうにいと乱りがはしうて、「侍従の君に」と 上には書きつけたり。紙魚といふ虫の住み処になりて、古め きたる黴くささながら、跡は消えず、ただ今書きたらんにも 違はぬ言の葉どもの、こまごまとさだかなるを見たまふに、 げに落ち散りたらましよと、うしろめたういとほしき事ども なり。  かかる事、世にまたあらむやと、心ひとつにいとどもの思 はしさそひて、内裏へ参らむと思しつるも出で立たれず。宮 の御前に参りたまへれば、いと何心もなく、若やかなるさま したまひて、経読みたまふを、恥ぢらひてもて隠したまへり。 何かは、知りにけりとも知られたてまつらむなど、心に籠め てよろづに思ひゐたまへり。
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