源氏物語

按察大納言と真木柱、その子たちのこと

The Rose Plum

そのころ、按察大納言と聞こゆるは、故致- 仕の大臣の二郎なり。亡せたまひにし衛門- 督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、は なやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ 年月にそへて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしう もてなし、御おぼえいとやむごとなかりけり。北の方二人も のしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものし たまふは、後太政大臣の御むすめ、真木柱離れがたくしたま ひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿の親王にあはせたてまつ りたまへりしを、親王亡せたまひて後忍びつつ通ひたまひし かど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。御子は、 故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしと

て、神仏に祈りて、今の御腹にぞ男君一人まうけたまへる。 故宮の御方に、女君一ところおはす。隔てわかず、いづれを も同じごと思ひきこえかはしたまへるを、おのおの御方の人 などはうるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくね しき事も出で来る時々あれど、北の方、いとはればれしくい まめきたる人にて、罪なくとりなし、わが御方ざまに苦しか るべきことをもなだらかに聞きなし、思ひなほしたまへば、 聞きにくからでめやすかりけり。 大君東宮に参る 匂宮を中の君の夫に望む 君たち、同じほどに、すぎすぎ大人びたま ひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。 七間の寝殿広くおほきに造りて、南面に、 大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と住ませたてま つりたまへり。おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ 心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、 内々の儀式ありさまなど心にくく気高くなどもてなして、け

はひあらまほしくおはす。  例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ 聞こえたまふ人多く、内裏春宮より御気色あれど、 「内裏に は中宮おはします、いかばかりの人かはかの御けはひに並び きこえむ。さりとて、思ひ劣り卑- 下せんもかひなかるべし。春宮に は、右の大臣殿の並ぶ人なげにて さぶらひたまへばきしろひにくけ れど、さのみ言ひてやは。人にま さらむと思ふ女子を宮仕に思ひ絶 えては、何の本意かはあらむ」と 思したちて、参らせたてまつりた まふ。十七八のほどにて、うつく しうにほひ多かる容貌したまへり。  中の君も、うちすがひて、あて

になまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはす めれば、ただ人にてはあたらしく見せまうき御さまを、兵部- 卿宮のさも思したらばなど思したる。この若君を内裏にてな ど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れがたきにしたまふ。 心ばへありて、奥推しはからるるまみ額つきなり。 「せう とを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひ かくるを、 「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、いとかひ ありと思したり。 「人におとらむ宮仕よりは、この宮に こそはよろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。心ゆ くにまかせて、かしづきて見たてまつらんに命延びぬべき宮 の御さまなり」とのたまひながら、まづ春宮の御事を急ぎた まうて、春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、 故大臣の、院の女御の御事を胸いたく思してやみにし慰めの 事もあらなむ、と心の中に祈りて、参らせたてまつりたまひ つ。いと時めきたまふよし人々聞こゆ。かかる御まじらひの

馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがと て、北の方そひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思 ひかしづき後見きこえたまふ。 大納言、継娘の宮の御方に関心を寄せる 殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、 ひとつにならひたまひて、いとさうざうし くながめたまふ。東の姫君も、うとうとし くかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に御殿篭り、よろ づの御事習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のや うに思ひきこえてぞ誰も習ひ遊びたまひける。もの恥ぢを、 世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかには、を さをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまで、もて なしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、 愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。かく 内裏参りや何やとわが方ざまをのみ思ひいそぐやうなるも心- 苦しなど思して、 「さるべからむさまに思し定めてのた

まへ。同じこととこそは仕うまつらめ」
と、母君にも聞こえ たまひけれど、 「さらにさやうの世づきたるさま思ひた つべきにもあらぬ気色なれば、なかなかならむ事は心苦しか るべし。御宿世にまかせて、世にあらむかぎりは見たてまつ らむ。後ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、 おのづから人わらへにあはつけき事なくて過ぐしたまはな ん」などうち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こ えたまふ。  いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかし う思して「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、人知 れず、見えたまひぬべしやとのぞき歩きたまへど、絶えてか たそばをだにえ見たてまつりたまはず。、 「上おはせぬほ どは、立ちかはりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる 御気色なれば心憂くこそ」など聞こえて、御廉の前にゐたま へば、御答へなどほのかに聞こえたまふ。御声けはひなどあ

てにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人 の御ありさまなり。わが御姫君たちを人に劣らじと思ひおご れど、 「この君にえしもまさらずやあらむ。かかればこそ、 世の中の広き内裏はわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに まさる方もおのづからありぬべかめり」など、いとどいぶか しう思ひきこえたまふ。 「月ごろ何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだ にうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる 人は、琵琶を心に入れてはべる。さも、まねび取りつべくや おぼえはべらん。なまかたほにしたるに、聞きにくき物の音 がらなり。同じくは御心とどめて教へさせたまへ。翁は、と りたてて習ふ物はべらざりしかど、その昔さかりなりし世に 遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごと にもいとつきなうははべらざりしを、うちとけても遊ばさね ど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ昔おぼえはべる。故六-

条院の御伝へにて、右大臣なん、このごろ世に残りたまへる。 源中納言、兵部卿宮、何ごとにも昔の人に劣るまじういと契 りことにものしたまふ人々にて、遊びの方はとり分きて心と どめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなん、 大臣には及びたまはずと思ひたまふるを、この御琴の音こそ、 いとよくおぼえたまへれ。琵琶は、押手しづやかなるをよき にするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変りて、なまめ かしう聞こえたるなん、女の御ことにて、なかなかをかしか りける。いで遊ばさんや。御琴まゐれ」
とのたまふ。女房な どは、隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈だつが、 見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、 「さぶらふ人さへかくもてなすが、安からぬ」と腹立ち たまふ。 大納言、紅梅に託して匂宮に意中を伝える

若君、内裏へ参らむと宿直姿にて参りたま へる、わざとうるはしき角髪よりもいとを かしく見えて、いみじううつくしと思した り。麗景殿に御ことつけ聞こえたまふ。 「譲りきこえて、 今宵もえ参るまじく。悩ましくなど聞こえよ」とのたまひて、 「笛すこし仕うまつれ。ともすれば御前の御遊びに召し 出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」とうち 笑みて、双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、 「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにておのづか ら物に合はするけなり。なほ掻き合はせさせたまへ」と責め きこえたまへば、苦しと思したる気色ながら、爪弾きにいと よく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮笛ふつつか に馴れたる声して。  この東のつまに、軒近き紅梅のいとおもしろく匂ひたるを 見たまひて、 「御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部-

卿宮内裏におはすなり。 一枝折りてまゐれ。知る 人ぞ知る」
とて、 「あ はれ、光る源氏といはゆ る御さかりの大将などに おはせしころ、童にてかやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、 世とともに恋しうはべれ。この宮たちを世人もいとことに思 ひきこえ、げに人にめでられんとなりたまへる御ありさまな れど、端が端にもおぼえたまはぬはなほたぐひあらじと、思 ひきこえし心のなしにやありけん。おほかたにて思ひ出でた てまつるに、胸あく世なく悲しきを、け近き人の後れたてま つりて生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそ おぼえはべれ」など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにす ごく思ひめぐらし、しをれたまふ。  ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。

「いかがはせん。昔の恋しき御形見にはこの宮ばかりこ そは。仏の隠れたまひけむ御なごりには、阿難が光放ちけん を、二たび出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを。 闇にまどふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、   心ありて風のにほはす園の梅にまづうぐひすのと  はずやあるべき と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙にとりまぜ、押し たたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえま ほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。 匂宮、大夫の君と語らう 大納言に返歌 中宮の上の御局より御宿直所に出でたまふ ほどなり。殿上人あまた御送りに参る中に 見つけたまひて、 「昨日は、などいとと くはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。 「と くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の 申しつれば、急ぎ参りつるや」と、幼げなるものから馴れ聞

こゆ。 「内裏ならで、心やすき所にも時々は遊べかし。若 き人どものそこはかとなく集まる所ぞ」とのたまふ。この君 召し放ちて語らひたまへば、人々は近うも参らず、まかで散 りなどして、しめやかになりぬれば、 「春宮には、暇すこ しゆるされにためりな。いと繁う思ほしまとはすめりしを、 時とられて人わろかめり」とのたまへば、 「まつはさせ たまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」と聞こえさして ゐたれば、 「我をば人げなしと思ひ離れたるとな。ことわ りなり。されど安からずこそ。古めかしき同じ筋にて、東と 聞こゆなるは、あひ思ひたまひてんやと、忍びて語らひきこ えよ」などのたまふついでに、この花を奉れば、うち笑みて、 「恨みて後ならましかば」とて、うちも置かず御覧ず。枝の さま、花ぶさ、色も香も世の常ならず。 「園に匂へる紅の、 色にとられて香なん白き梅には劣れると言ふめるを、いとか しこくとり並べても咲きけるかな」とて、御心とどめたまふ

花なれば、かひありてもてはやしたまふ。 「今宵は宿直なめり。やがてこなたにを」と召し籠めつ れば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべくかうば しくて、け近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなく うれしくなつかしう思ひきこゆ。 「この花の主は、など春- 宮にはうつろひたまはざりし」 「知らず。心知らむ人 になどこそ、聞きはべりしか」など語りきこゆ。大納言の御- 心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれと聞きあはせたまへど、 思ふ心は異にしみぬれば、この返り事、けざやかにものたま ひやらず。つとめてこの君のまかづるに、なほざりなるやう にて、   花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過  ぐさましやは さて、 「なほ、今は、翁どもにさかしらせさせで、忍びや かに」とかへすがへすのたまひて。

 この君も東のをばやむごとなく睦ましう思ひましたり。な かなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例のはらからの さまなれど、童心地に、いと重りかにあらまほしうおはする 心ばへをかひあるさまにて見たてまつらばや、と思ひ歩くに、 春宮の御方のいとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じ 事とは思ひながらいと飽かず口惜しければ、この宮をだにけ 近くて見たてまつらばや、と思ひ歩くに、うれしき花のつい でなり。 大納言、匂宮に再び消息 匂宮なお応ぜず これは昨日の御返りなれば見せたてまつる。 「ねたげにものたまへるかな。あまり すきたる方にすすみたまへるを、ゆるしき こえずと聞きたまひて、右大臣、我らが見たてまつるには、 いとものまめやかに御心をさめたまふこそをかしけれ。あだ 人とせんに、足らひたまへる御さまを、強ひてまめだちたま はんも、見どころ少なくやならまし」など、しりうごちて、

今日も参らせたまふに、また、   「本つ香のにほへる君が袖ふれば花もえならぬ名を  や散らさむ とすきずきしや。あなかしこ」と、まめやかに聞こえたまへ り。まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに 御心ときめきしたまひて、   花の香をにほはす宿にとめゆかばいろにめづとや人   のとがめん など、なほ心解けず答へたまへるを、心やましと思ひゐたま へり。 大納言と真木柱、匂宮のことを語りあう 北の方まかでたまひて、内裏わたりの事の たまふついでに、 「若君の、一夜宿直 して、まかり出でたりし匂ひの、いとをか しかりしを、人はなほと思ひしを、宮のいと思ほし寄りて、 兵部卿宮に近づききこえにけり、むべ我をばすさめたりと、

気色とり、怨じたまへりしこそをかしかりしか。ここに、御- 消息やありし。さも見えざりしを」
とのたまへば、 「さ かし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅いと 盛りに見えしを、ただならで、折りて奉れたりしなり。移り 香はげにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはん女などは、 さはえしめぬかな。源中納言は、かうざまに好ましうはたき 匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りい かなりける報にかと、ゆかしきことにこそあれ。同じ花の名 なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などの めでたまふ、さることぞかし」など、花によそへてもまづか けきこえたまふ。 匂宮、宮の御方に執心 真木柱応諾せず 宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさ りたまへれば、何ごとも見知り、聞きとど めたまはぬにはあらねど、人に見え、世づ きたらむありさまは、さらに、と思し離れたり。世の人も、

時による心ありてにや、さし向ひたる御方々には、心を尽く しきこえわび、いまめかしきこと多かれど、こなたはよろづ につけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は御ふさひ の方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけ り。若君を常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あ れど、大納言の君深く心かけきこえたまひて、さも思ひたち てのたまふことあらば、と気色とり、心まうけしたまふを見 るに、いとほしう、 「ひき違へて、かう思ひ寄るべうも あらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげな ること」と、北の方も思しのたまふ。  はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心そひて、思 ほしやむべくもあらず。何かは、人の御ありさま、などかは、 さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせた まふになど、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色め きたまうて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御-

心ざし浅からで、いと繁う参うで歩きたまふ。頼もしげなき 御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめ やかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、 母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。
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