源氏物語

柏木の一周忌 源氏・夕霧の志厚し

The Flute

故権大納言のはかなく亡せたまひにし悲し さを、飽かず口惜しきものに恋ひ偲びたま ふ人多かり。六条院にも、おほかたにつけ てだに、世にめやすき人のなくなるをを惜しみたまふ御心に、 まして、これは、朝夕に親しく参り馴れつつ人よりも御心と どめ思したりしかば、いかにぞや思し出づることはありなが ら、あはれは多く、をりをりにつけて偲びたまふ。御はてに も、誦経などとりわきせさせたまふ。よろづも知らず顔にい はけなき御ありさまを見たまふにも、さすがにいみじくあは れなれば、御心の中にまた心ざしたまうて、黄金百両をな む別にせさせたまひける。大臣は心も知らでぞかしこまりよ ろこび聞こえさせたまふ。

 大将の君も、事ども多くしたまひ、とりもちてねむごろに 営みたまふ。かの一条宮をも、このほどの御心ざし深くとぶ らひきこえたまふ。兄弟の君たちよりもまさりたる御心のほ どを、いとかくは思ひきこえざりきと、大臣上もよろこびき こえたまふ。亡き後にも、世のおぼえ重くものしたまひける ほどの見ゆるに、いみじうあたらしうのみ思し焦るること尽 きせず。 朱雀院、女三の宮へ山菜に添えて歌を贈る 山の帝は、二の宮も、かく人笑はれなるや うにてながめたまふなり、入道の宮も、こ の世の人めかしき方はかけ離れたまひぬれ ば、さまざまに飽かず思さるれど、すべてこの世を思し悩ま じと忍びたまふ。御行ひのほどにも、同じ道をこそは勤めた まふらめなど思しやりて、かかるさまになりたまて後は、は かなき事につけても絶えず聞こえたまふ。  御寺のかたはら近き林にぬき出でたる筍、そのわたりの山

に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば奉れたま ふとて、御文こまやかなる端に、 「春の野山、霞もたど たどしけれど、心ざし深く掘り出でさせてはべる、しるしば かりになむ。   世をわかれ入りなむ道はおくるともおなじところを君も   たづねよ いと難きわざになむある」と聞こえたまへるを、涙ぐみて見 たまふほどに、大殿の君渡りたまへり。例ならず御前近き櫑- 子どもを、 「なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なり けり。見たまへば、いとあはれなり。 「今日か明日かの心地 するを、対面の心にかなはぬこと」など、こまやかに書かせ たまへり。この同じところの御伴ひを、ことにをかしきふし もなき聖言葉なれど、 「げにさぞ思すらむかし。我さへおろ かなるさまに見えたてまつりて、いとどうしろめたき御思ひ の添ふべかめるをいといとほし」と思す。

 御返りつつましげに書き たまひて、御使には青鈍の 綾一襲賜ふ。書きかへた まへりける紙の御几帳の側 よりほの見ゆるをとりて見 たまへば、御手はいとはかなげにて、    うき世にはあらぬところのゆかしくてそむく山路   に思ひこそ入れ  「うしろめたげなる御気色なるに、このあらぬ所もとめた まへる、いとうたて心憂し」と聞こえたまふ。  今はまほにも見えたてまつりたまはず。いとうつくしうら うたげなる御額髪頬つきのをかしさ、ただ児のやうに見え たまひて、いみじうらうたきを見たてまつりたまふにつけて は、などかうはなりにしことぞと罪得ぬべく思さるれば、御- 几帳ばかり隔てて、またいとこよなうけ遠くうとうとしうは

あらぬほどに、もてなしきこえてぞおはしける。 無心の薫の姿に、源氏はわが老いを嘆ずる 若君は、乳母のもとに寝たまへりける、起 きて這ひ出でたまひて、御袖を引きまつは れたてまつりたまふさまいとうつくし。白 き羅に唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけなげに引 きやられて、御身はいとあらはにて背後のかぎりに着なした まへるさまは、例のことなれど、いとらうたげに、白くそび やかに柳を削りて作りたらむやうなり。頭は露草してことさ らに色どりたらむ心地して、口つきうつくしうにほひ、まみ のびらかに恥づかしうかをりたるなどは、なほいとよく思ひ 出でらるれど、かれはいとかやうに際離れたるきよらはなか りしものを、いかでかからん、宮にも似たてまつらず、今よ り気高くものものしうさまことに見えたまへる気色などは、 わが御鏡の影にも似げなからず見なされたまふ。  わづかに歩みなどしたまふほどなり。この筍の櫑子に何と

も知らず立ち寄りて、いとあわたたしう取り散らして食ひか なぐりなどしたまへば、 「あならうがはしや。いと不便な り。かれとり隠せ。食物に目とどめたまふと、ものいひさが なき女房もこそ言ひなせ」とて笑ひたまふ。かき抱きたまひ て、 「この君のまみのいとけしきあるかな。小さきほどの 児をあまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどはただいはけ なきものとのみ見しを、今よりいとけはひことなるこそわづ らはしけれ。女宮ものしたまふめるあたりにかかる人生ひ出 でて、心苦しきこと誰がためにもありなむかし。あはれ、そ のおのおのの老いゆく末までは、見はてんとすらむやは。花 の盛りはありなめど」と、うちまもり聞こえたまふ。 「うた て。ゆゆしき御ことにも」と人々は聞こゆ。  御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り持ちて、 雫もよよと食ひ濡らしたまへば、 「いとねぢけたる色ごの みかな」とて、

  うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきも   のにぞありける と、ゐて放ちてのたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひ たらずいとそそかしう這ひ下り騒ぎたまふ。 源氏・夕霧各感懐を秘めつつ、季節移る 月日にそへて、この君のうつくしう、ゆゆ しきまで生ひまさりたまふに、まことに、 このうきふしみな思し忘れぬべし。 「この 人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外の事もあ るにこそはありけめ。のがれ難かなるわざぞかし」とすこし は思しなほさる。みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多か り。あまた集へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる 思ひまじらず、人の御ありさまも思ふに飽かぬところなくて ものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつる こと、と思すにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ 口惜しかりける。

 大将の君は、かのいまはのとぢめにとどめし一言を心ひと つに思ひ出でつつ、いかなりし事ぞとは、いと聞こえまほし う、御気色もゆかしきを、ほの心えて思ひ寄らるる事もあれ ば、なかなかうち出でて聞こえんもかたはらいたくて、いか ならむついでに、この事のくはしきありさまも明らめ、また、 かの人の思ひ入りたりしさまをも聞こしめさせむ、と思ひわ たりたまふ。 夕霧、一条宮を訪れ、柏木遺愛の笛を受く 秋の夕のものあはれなるに、一条宮を思ひ やりきこえたまひて渡りたまへり。うちと けしめやかに御琴どもなど弾きたまふほど なるべし。深くもえとりやらで、やがてその南の廂に入れた てまつりたまへり。端つ方なりける人のゐざり入りつるけは ひどもしるく、衣の音なひも、おほかたの匂ひ香ばしく、心 にくきほどなり。例の、御息所対面したまひて、昔の物語ど も聞こえかはしたまふ。わが御殿の、明け暮れ人繁くてもの

騒がしく、幼き君たちなどすだきあわてたまふにならひたま ひて、いと静かにものあはれなり。うち荒れたる心地すれど、 あてに気高く住みなしたまひて、前栽の花ども、虫の音しげ き野辺と乱れたる夕映えを見わたしたまふ。  和琴をひき寄せたまへれば、律に調べられて、いとよく弾 きならしたる、人香にしみてなつかしうおぼゆ。 「かやうな るあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、静むること なくて、さまあしきけはひをもあらはし、さるまじき名をも 立つるぞかし」など、思ひつづけつつ掻き鳴らしたまふ。故- 君の常に弾きたまひし琴なりけり。をかしき手ひとつなど、 すこし弾きたまひて、 「あはれ、いとめづらかなる音に掻 き鳴らしたまひしはや。この御琴にも籠りてはべらんかし。 うけたまはりあらはしてしがな」とのたまへば、 「琴の 緒絶えにし後より、昔の御童遊びのなごりをだに思ひ出で たまはずなんなりにてはべめる。院の御前にて、女宮たちの

とりどりの御琴ども試みきこえたまひしにも、かやうの方は おぼめかしからずものしたまふとなむ定めきこえたまふめり しを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ過ぐしたま ふめれば、世のうきつまに、といふやうになむ見たまふる」
と聞こえたまへば、 「いとことわりの御思ひなりや。限り だにある」とうちながめて、琴は押しやりたまへれば、 「かれ、なほ、さらば、声に伝はることもやと、聞きわくば かり鳴らさせたまへ。ものむつかしう思うたまへ沈める耳を だに明らめはべらん」と聞こえたまふを、 「しか伝はる中 の緒はことにこそははべらめ。それをこそうけたまはらむと は聞こえつれ」とて、御簾のもと近く押しよせたまへど、と みにしも承け引きたまふまじきことなれば、強ひても聞こえ たまはず。  月さし出でて曇りなき空に、羽翼うちかはす雁がねも列を 離れぬ、うらやましく聞きたまふらんかし。風肌寒く、もの

あはれなるにさそはれて、箏の琴をいとほのかに掻き鳴らし たまへるも奥深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかな かに思ほゆれば、琵琶をとり寄せて、いとなつかしき音に想- 夫恋を弾きたまふ。 「思ひおよび顔なるはかたはらいたけ れど、これは言問はせたまふべくや」とて、切に簾の内をそ そのかしきこえたまへど、ましてつつましきさし答へなれば、 宮はただものをのみあはれと思しつづけたるに、   言に出でていはぬもいふにまさるとは人に恥ぢたる   けしきをぞ見る と聞こえたまふに、ただ末つ方をいささか弾きたまふ。   ふかき夜のあはればかりは聞きわけどことよりほ   かにえやは言ひける  飽かずをかしきほどに、さるおほどかなる物の音がらに、 古き人の心しめて弾き伝へける、同じ調べのものといへど、 あはれに心すごきものの、かたはしを掻き鳴らしてやみたま

ひぬれば、恨めしきまで おぼゆれど、 「すきず きしさを、さまざまに弾 き出でても御覧ぜられぬ るかな。秋の夜ふかしは べらんも昔の咎めや、と憚りてなむ、まかではべりぬべかめ る。また、ことさらに心してなむさぶらふべきを、この御琴 どもの調べ変へず待たせたまはんや。ひき違ふることもはべ りぬべき世なれば、うしろめたくこそ」など、まほにはあら ねど、うちにほはしおきて出でたまふ。 「今宵の御すきには、人ゆるしきこえつべくなむあり ける。そこはかとなきいにしへ語りにのみ紛らはさせたまひ て、玉の緒にせむ心地もしはべらぬ、残り多くなん」とて、 御贈物に笛を添へて奉りたまふ。 「これになむ、まこと に古きことも伝はるべく聞きおきはべりしを、かかる蓬生に

埋もるるもあはれに見たまふるを、御先駆に競はん声なむ、 よそながらもいぶかしうはべる」
と聞こえたまへば、 「似 つかはしからぬ随身にこそははべるべけれ」とて、見たまふ に、これも、げに、世とともに身に添へてもて遊びつつ、 「みづからもさらにこれが音の限りはえ吹き通さず。思はん 人にいかで伝へてしがな」と、をりをり聞こえごちたまひし を思ひ出でたまふに、いますこしあはれ多く添ひて、試みに 吹き鳴らす。盤渉調のなからばかり吹きさして、 「昔を忍 ぶ独りごとは、さても罪ゆるされはべりけり。これはまばゆ くなむ」とて出でたまふに、    露しげきむぐらの宿にいにしへの秋にかはらぬ虫   の声かな と聞こえ出だしたまへり。    横笛のしらべはことにかはらぬをむなしくなりし音   こそつきせね

出でがてにやすらひたまふに、夜もいたく更けにけり。 夕霧帰邸する 柏木夢に現われ笛を求む 殿に帰りたまへれば、格子など下ろさせて、 みな寝たまひにけり。この宮に心かけきこ えたまひて、かくねむごろがりきこえたま ふぞなど人の聞こえ知らせたれば、かやうに夜更かしたまふ もなま憎くて、入りたまふをも聞く聞く寝たるやうにてもの したまふなるべし。 「妹と我といるさの山の」と、声はい とをかしうて、独りごちうたひて、 「こは、など。かく鎖 し固めたる。あな埋れや。今宵の月を見ぬ里もありけり」と うめきたまふ。格子上げさせたまひて、御簾捲き上げなどし たまひて、端近く臥したまへり。 「かかる夜の月に、心や すく夢みる人はあるものか。すこし出でたまへ。あな心憂」 など聞こえたまへど、心やましううち思ひて、聞き忍びた まふ。  君たちの、いはけなく寝おびれたるけはひなどここかしこ

にうちして、女房もさしこみて臥したる、人げにぎははしき に、ありつる所のありさま思ひあはするに、多く変りたり。 この笛をうち吹きたまひつつ、 「いかになごりもながめたま ふらん。御琴どもは、調べ変らず遊びたまふらむかし。御息- 所も、和琴の上手ぞかし」など、思ひやりて臥したまへり。 「いかなれば、故君、ただおほかたの心ばへはやむごとなく もてなしきこえながら、いと深き気色なかりけむ」と、それ につけてもいといぶかしうおぼゆ。 「見劣りせむことこそ、 いといとほしかるべけれ、おほかたの世につけても、限りな く聞くことは必ずさぞあるかし」など思ふに、わが御仲の、 うち気色ばみたる思ひやりもなくて、睦びそめたる年月のほ どを数ふるに、あはれに、いとかう押し立ちておごりならひ たまへるもことわりにおぼえたまひけり。  すこし寝入りたまへる夢に、かの衛門督、ただありしさま の袿姿にて、かたはらにゐて、この笛をとりて見る。夢の中

にも、亡き人のわづらはしうこの声をたづねて来たる、と思 ふに、   「笛竹に吹きよる風のことならば末の世ながき音に伝   へなむ 思ふ方異にはべりき」と言ふを、問はんと思ふほどに、若君 の寝おびれて泣きたまふ御声にさめたまひぬ。  この君いたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母 も起き騒ぎ、上も御殿油近く取り寄せさせたまて、耳はさみ してそそくりつくろひて、抱きてゐたまへり。いとよく肥え て、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて乳などくくめたまふ。 児も、いとうつくしうおはする君なれば、白くをかしげなる に、御乳はいとかはらかなるを、心をやりて慰めたまふ。男- 君も寄りおはして、 「いかなるぞ」などのたまふ。撒米し 散らしなどして乱りがはしきに、夢のあはれも紛れぬべし。 「悩ましげにこそ見ゆれ。いまめかしき御ありさまのほ

どにあくがれたまうて、夜深き御月めでに、格子も上げられ たれば、例の物の怪の入り来たるなめり」
など、いと若くを かしき顔してかこちたまへば、うち笑ひて、 「あやしの物 の怪のしるべや。まろ格子上げずは、道なくて、げにえ入り 来ざらまし。あまたの人の親になりたまふままに、思ひいた り深く、ものをこそのたまひなりにたれ」とて、うち見やり たまへるまみのいと恥づかしげなれば、さすがにものものた まはで、 「いで、たまひね。見苦し」とて、明らかなる 灯影をさすがに恥ぢたまへるさまも憎からず。まことにこの 君なづみて、泣きむつかり明かしたまひつ。  大将の君も、夢思し出づるに、 「この笛のわづらはしくも あるかな。人の心とどめて思へりし物の行くべき方にもあら ず。女の御伝へはかひなきをや。いかが思ひつらん。この世 にて数に思ひ入れぬことも、かのいまはのとぢめに、一念の 恨めしきにも、もしはあはれとも思ふにまつはれてこそは、

長き夜の闇にもまどふわざななれ。かかればこそは、何ごと にも執はとどめじと思ふ世なれ」
など思しつづけて、愛宕に 誦経せさせたまふ。また、かの心寄せの寺にもせさせたまひ て、この笛をば、 「わざと人のさるゆゑ深き物にて、引き出 でたまへりしを、たちまちに仏の道におもむけんも、尊きこ ととはいひながらあへなかるべし」と思ひて、六条院に参り たまひぬ。 夕霧、六条院を訪れ、皇子たちや薫を見る 女御の御方におはしますほどなりけり。三- の宮三つばかりにて中にうつくしくおはす るを、こなたにぞ、またとりわきておはし まさせたまひける、走り出でたまひて、 「大将こそ、宮抱 きたてまつりて、あなたへ率ておはせ」と、みづからかしこ まりて、いとしどけなげにのたまへば、うち笑ひて、 「お はしませ。いかでか御簾の前をば渡りはべらん。いと軽々な らむ」とて、抱きたてまつりてゐたまへれば、 「人も見ず。

まろ顔は隠さむ。なほなほ」
とて、御袖してさし隠したまへ ば、いとうつくしうて率てたてまつりたまふ。こなたにも、 二の宮の、若君とひとつにまじりて遊びたまふをうつくしみ ておはしますなりけり。隅の間のほどに下ろしたてまつりた まふを二の宮見つけたまひて、 「まろも大将に抱かれん」 とのたまふを、三の宮、 「あが大将をや」とて控へたまへり。 院も御覧じて、 「いと乱りがはしき御ありさまどもかな。 おほやけの御近き衛りを、私の随身に領ぜむと争ひたまふよ。 三の宮こそいとさがなくおはすれ。常に兄に競ひ申したま ふ」と、諫めきこえあつかひたまふ。大将も笑ひて、 「二- の宮は、こよなく兄心にところ避りきこえたまふ御心深く なむおはしますめる。御年のほどよりは、恐ろしきまで見え させたまふ」など聞こえたまふ。うち笑みて、いづれをもい とうつくしと思ひきこえさせたまへり。 「見苦しく軽々し き公卿の御座なり。あなたにこそ」とて渡りたまはむとする

に、宮たちまつはれて、さらに離れたまはず。宮の若君は、 宮たちの御列にはあるまじきぞかし、と御心の中に思せど、 なかなかその御心ばへを、母宮の、御心の鬼にや思ひ寄せた まふらんと、これも心の癖にいとほしう思さるれば、いとら うたきものに思ひかしづききこえたまふ。  大将は、この君をまだえよくも見ぬかなと思して、御簾の 隙よりさし出でたまへるに、花の枝の枯れて落ちたるをとり て、見せたてまつりて招きたまへば、走りおはしたり。二藍 の直衣のかぎりを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、 皇子たちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらな り。なま目とまる心も添ひて見ればにや、まなこゐなど、これ はいますこし強う才あるさままさりたれど、眼尻のとぢめを かしうかをれるけしきなどいとよくおぼえたまへり。口つき の、ことさらにはなやかなるさましてうち笑みたるなど、わ が目のうちつけなるにやあらむ、大殿は必ず思し寄すらんと、

いよいよ御気色ゆかし。宮たちは、思ひなしこそ気高けれ、 世の常のうつくしき児どもと見えたまふに、この君は、いと あてなるものから、さまことにをかしげなるを、見くらべた てまつりつつ、 「いであはれ。もし疑ふゆゑもまことならば、 父大臣のさばかり世にいみじく思ひほれたまて、子と名のり 出でくる人だになきこと、形見に見るばかりのなごりをだに とどめよかし、と泣き焦れたまふに聞かせたてまつらざらむ 罪得がましさ」など思ふも、いで、いかでさはあるべき事ぞ と、なほ心得ず思ひ寄る方なし。心ばへさへなつかしうあは れにて、むつれ遊びたまへば、いとらうたくおぼゆ。 源氏、柏木遺愛の笛を夕霧から預かる 対へ渡りたまひぬれば、のどやかに御物語 など聞こえておはするほどに、日も暮れか かりぬ。昨夜かの一条宮に参うでたりしに、 おはせしありさまなど聞こえ出でたまへるを、ほほ笑みて聞 きおはす。あはれなる昔の事、かかりたるふしぶしは、あへ

しらひなどしたまふに、 「かの想夫恋の心ばへは、げに、 いにしへの例にもひき出でつべかりけるをりながら、女は、 なほ人の心移るばかりのゆゑよしをも、おぼろけにては漏ら すまじうこそありけれ、と思ひ知らるる事どもこそ多かれ。 過ぎにし方の心ざしを忘れず、かく長き用意を人に知られぬ、 とならば、同じうは心清くて、とかくかかづらひゆかしげな き乱れなからむや、誰がためも心にくくめやすかるべきこと ならむ、となん思ふ」とのたまへば、 「さかし。人の上の御- 教ばかりは心強げにて、かかるすきはいでや」と見たてまつ りたまふ。   「何の乱れかはべらむ。なほ常ならぬ世のあはれをかけ そめはべりにしあたりに、心短くはべらんこそ、なかなか世 の常の嫌疑あり顔にはべらめ、とてこそ。想夫恋は、心とさ しすぎて言出でたまはんや、憎きことにはべらまし、ものの ついでにほのかなりしは、をりからのよしづきて、をかしう

なむはべりし。何ごとも、人により、事に従ふわざにこそは べるべかめれ。齢なども、やうやういたう若びたまふべきほ どにもものしたまはず、また、あざれがましうすきずきしき 気色などにもの馴れなどもしはべらぬに、うちとけたまふに や。おほかたなつかしうめやすき人の御ありさまになむもの したまひける」
など聞こえたまふに、いとよきついで作り出 でて、すこし近く参り寄りたまひて、かの夢語を聞こえたま へば、とみにものものたまはで聞こしめして、思しあはする こともあり。 「その笛はここに見るべきゆゑある物なり。かれは陽成- 院の御笛なり。それを、故式部卿宮のいみじきものにしたま ひけるを、かの衛門督は、童よりいとことなる音を吹き出で しに感じて、かの宮の萩の宴せられける日、贈物にとらせた まへるなり。女の心は深くもたどり知らず、しかものしたる ななり」などのたまひて、 「末の世の伝へは、またいづ方に

とかは思ひまがへん。さやうに思ふなりけんかし」
など思し て、この君もいといたり深き人なれば、思ひ寄ることあらむ かし、と思す。  その御気色を見るに、いとど憚りて、とみにもうち出でき こえたまはねど、せめて聞かせたてまつらんの心あれば、今 しも事のついでに思ひ出でたるやうに、おぼめかしうもてな して、 「いまは、とせしほどにも、とぶらひにまかりては べりしに、亡からむ後のことども言ひおきはべりし中に、し かじかなん深くかしこまり申すよしを、返す返すものしはべ りしかば、いかなる事にかはべりけむ、今にそのゆゑをなん え思ひたまへ寄りはべらねば、おぼつかなくはべる」と、い とたどたどしげに聞こえたまふに、さればよ、と思せど、何 かはそのほどのことあらはしのたまふべきならねば、しばし おぼめかしくて、 「しか人の恨みとまるばかりの気色は、 何のついでにかは漏り出でけんと、みづからもえ思ひ出でず

なむ。さて、今、静かに、かの夢は思ひあはせてなむ聞こゆ べき。夜語らずとか女ばらの伝へに言ふなり」
とのたまひて、 をさをさ御答へもなければ、うち出で聞こえてけるをいかに 思すにか、とつつましく思しけりとぞ。
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