源氏物語

尚侍の出家につけ源氏、紫の上に昔を語る

二条の尚侍の君をば、なほ絶えず思ひ出で きこえたまへど、かくうしろめたき筋のこ とうきものに思し知りて、かの御心弱さも すこし軽く思ひなされたまひけり。つひに御本意の事したま ひてけり、と聞きたまひては、いとあはれに口惜しく御心動 きて、まづとぶらひきこえたまふ。今なむ、とだににほはし たまはざりけるつらさを浅からず聞こえたまふ。   「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦にもしほたれし   も誰ならなくに さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後れき こえぬる口惜しさを、思し棄てつとも、避りがたき御回向の 中にはまづこそは、とあはれになむ」など、多く聞こえたま へり。とく思し立ちにしことなれど、この御妨げにかかづら ひて、人にはしかあらはしたまはぬことなれど、心の中あは れに、昔よりつらき御契りをさすがに浅くしも思し知られぬ

など、方々に思し出でらる。御返り、今はかくしも通ふまじ き御文のとぢめ、と思せば、あはれにて、心とどめて書きた まふ。墨つきなどいとをかし。 「常なき世とは身ひとつに のみ知りはべりにしを、後れぬ、とのたまはせたるになむ、 げに、 あま舟にいかがはおもひおくれけんあかしの浦にいさり  せし君 回向には、あまねきかどにても、いかがは」とあり。濃き青- 鈍の紙にて、樒にさしたまへる、例の事なれど、いたく過ぐ したる筆づかひ、なほ旧りがたくをかしげなり。  二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶え ぬることにて、見せたてまつりたまふ。 「いといたくこそ 辱づかしめられたれ。げに心づきなしや。さまざま心細き世 の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての 世のことにても、はかなくものを言ひかはし、時々によせて

あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらの睦びかは しつべき人は、斎院とこの君とこそは残りありつるを、かく みな背きはてて、斎院、はた、いみじう勤めて、紛れなく行 ひにしみたまひにたなり。なほ、ここらの人のありさまを聞 き見る中に、深く思ふさまに、さすがになつかしきことの、 かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女子を生ほ したてむことよ、いと難かるべきわざなりけり。宿世などい ふらむものは目に見えぬわざにて、親の心にまかせ難し。 生ひたたむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり。よくこ そあまた方々に、心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいら ざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに見ましかば となむ、嘆かしきをりをりありし。若宮を心して生ほしたて たてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほど ならで、かく暇なきまじらひをしたまへば、何ごとも心もと なき方にぞものしたまふらん。皇女たちなむ、なほ飽くかぎ

り人に点つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、 うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。 限りありて、とざまかうざまの後見まうくるただ人は、おの づからそれにも助けられぬるを」
など聞こえたまへば、 「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへんか ぎりは、見たてまつらぬやうあらじ、と思ふを、いかなら む」とて、なほものを心細げにて、かく心にまかせて、行ひ をもとどこほりなくしたまふ人々を、うらやましく思ひきこ えたまへり。   「尚侍の君に、さま変りたまへらむ装束など、まだ裁ち 馴れぬほどはとぶらふべきを、袈裟などはいかに縫ふものぞ。 それせさせたまへ。一領は、六条の東の君にものしつけむ。 うるはしき法服だちては、うたて見目もけうとかるべし。さ すがに、その心ばへ見せてを」など聞こえたまふ。青鈍の 一領をここにはせさせたまふ。作物所の人召して、忍びて、

尼の御具どものさるべき はじめのたまはす。御褥、 上席*、屏風、几帳などの ことも、いと忍びて、わ ざとがましくいそがせた まひけり。 御賀また延期 院、女三の宮に消息する かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とあり しを、八月は、大将の御忌月にて、楽所の こと行ひたまはむに便なかるべし、九月は、 院の大后の崩れたまひにし月なれば、十月に、と思しまうく るを、姫宮いたく悩みたまへば、また延びぬ。衛門督の御あ づかりの宮なむ、その月には参りたまひける。太政大臣ゐた ちて、いかめしく、こまかに、もののきよら、儀式を尽くし たまへりけり。督の君も、そのついでにぞ、思ひ起こして出 でたまひける。なほ悩ましく、例ならず病づきてのみ過ぐし

たまふ。  宮もうちはへて、ものをつつましく、いとほしとのみ思し 嘆くけにやあらむ、月多く重なりたまふままに、いと苦しげ におはしませば、院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあ れ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく悩みわたりた まふを、いかにおはせむと嘆かしくて、さまざまに思し嘆く。 御祈祷など、今年は、紛れ多くて過ぐしたまふ。  御山にも聞こしめして、らうたく恋しと思ひきこえたまふ。 月ごろかくほかほかにて、渡りたまふこともをさをさなきや うに人の奏しければ、いかなるにかと御胸つぶれて、世の中 も今さらに恨めしく思して、対の方のわづらひけるころは、 なほ、そのあつかひに、と聞こしめしてだに、なま安からざ りしを、 「その後なほり難くものしたまふらむは、そのころ ほひ便なき事や出で来たりけむ。みづから知りたまふことな らねど、よからぬ御後見どもの心にて、いかなる事かありけ

む。内裏わたりなどのみやびをかはすべき仲らひなどにも、 けしからずうきこと言ひ出づるたぐひも聞こゆかし」
とさへ 思し寄るも、こまやかなること思し棄ててし世なれど、なほ、 この道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、 大殿おはしますほどにて見たまふ。    そのこととなくて、しばしばも聞こえぬほどに、   おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむあはれなりける。   悩みたまふなるさまは、くはしく聞きし後、念誦のつい   でにも思ひやらるるは。いかが、世の中さびしく、思は   ずなる事ありとも、忍び過ぐしたまへ。恨めしげなる気-   色など、おぼろけにて見知り顔にほのめかす、いと品お   くれたるわざになむ。 など、教へきこえたまへり。  いといとほしく心苦しく、かかる内々のあさましきをば聞 こしめすべきにはあらで、わが怠りに本意なくのみ聞き思す

らんことをとばかり思しつづけて、 「この御返りをばいか が聞こえたまふ。心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけ れ。思はずに思ひきこゆる事ありとも、おろかに人の見とが むばかりはあらじとこそ思ひはべれ。誰が聞こえたるにかあ らむ」とのたまふに、恥ぢらひて背きたまへる御姿もいとら うたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いと どあてにをかし。 源氏女三の宮を訓戒 柏木源氏に近づかず 「いと幼き御心ばへを見おきたまひて、 いたくはうしろめたがりきこえたまふなり けりと、思ひあはせたてまつれば、今より 後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじ、と思へど、 上の御心に背くと聞こしめすらんことの安からずいぶせきを、 ここにだに聞こえ知らせでやは、とてなむ。至り少なく、た だ人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただお ろかに浅きとのみ思し、また、今は、こよなくさだすぎにた

るありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふら むも、方々に口惜しくも、うれたくもおぼゆるを、院のおは しまさむほどは、なほ心をさめて、かの思しおきてたるやう ありけむ、さだすぎ人をも、同じくなずらへきこえて、いた くな軽めたまひそ。いにしへより本意深き道にも、たどり薄 かるべき女方にだにみな思ひ後れつつ、いとぬるきこと多か るを、みづからの心には、何ばかり思ひ迷ふべきにはあらね ど、今はと棄てたまひけむ世の後見におきたまへる御心ばへ のあはれにうれしかりしを、ひきつづき、争ひきこゆるやう にて、同じさまに見棄てたてまつらむことのあへなく思され んにつつみてなむ。心苦し、と思ひし人々も、今は、かけと どめらるる絆ばかりなるもはべらず。女御も、かくて行く末 は知りがたけれど、御子たち数そひたまふめれば、みづから の世だにのどけくはと見おきつべし。その外は、誰も誰も、 あらむに従ひて、もろともに身を棄てむも惜しかるまじき齢

どもになりにたるを、やうやう涼しく思ひはべる。院の御世 の残り久しくもおはせじ。いとあつしくいとどなりまさりた まひて、もの心細げにのみ思したるに、今さらに思はずなる 御名漏り聞こえて、御心乱りたまふな。この世はいと安し。 事にもあらず。後の世の御道の妨げならむも、罪いと恐ろし からむ」
など、まほにその事とは明かしたまはねど、つくづ くと聞こえつづけたまふに、涙のみ落ちつつ、我にもあらず 思ひしみておはすれば、我もうち泣きたまひて、 「人の上 にてももどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ、身にかは ることにこそ。いかに、うたての翁やと、むつかしくうるさ き御心添ふらん」と、恥ぢたまひつつ、御硯ひき寄せたまひ て、手づからおし磨り、紙とりまかなひ、書かせたてまつり たまへど、御手もわななきて、え書きたまはず。かのこまか なりし返り事は、いとかくしもつつまず、通はしたまふらむ かしと思しやるに、いと憎ければ、よろづのあはれもさめぬ

べけれど、言葉など教へて書かせたてまつりたまふ。 参りたまはむことは、この月かくて過ぎぬ。二の宮の御- 勢ことにて参りたまひけるを、古めかしき御身ざまにて、 立ち並び顔ならむも憚りある心地しけり。 「十一月はみづ からの忌月なり。年の終り、はた、いともの騒がし。また、 いとどこの御姿も見苦しく、待ち見たまはんをと思ひはべれ ど、さりとてさのみ延ぶべき事にやは。むつかしくもの思し 乱れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩せた まへるつくろひたまへ」など、いとらうたしと、さすがに見 たてまつりたまふ。 衛門督をば、何ざまの事にも、ゆゑあるべきをりふしには、 必ずことさらにまつはしたまひつつのたまはせあはせしを、 絶えてさる御消息もなし。人、あやしと思ふらんと思せど、 見むにつけても、いとどほれぼれしき方恥づかしく、見むに は、また、わが心もただならずや、と思し返されつつ、やが

て、月ごろ参りたまはぬをも咎めなし。おほかたの人は、な ほ例ならず悩みわたりて、院に、はた、御遊びなどなき年な れば、とのみ思ひわたるを、大将の君ぞ、 「あるやうあるこ となるべし。すき者はさだめて、わが気色とりしことには忍 ばぬにやありけむ」と思ひ寄れど、いとかく定かに残りなき さまならむとは思ひ寄りたまはざりけり。 御賀の試楽柏木ようやく源氏のもとに参上 十二月になりにけり。十余日と定めて、舞 ども馴らし、殿の内ゆすりてののしる。二- 条院の上は、まだ渡りたまはざりけるを、 この試楽によりぞ、えしづめはてで渡りたまへる。女御の君 も里におはします。このたびの御子は、また男にてなむおは しましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明け暮 れもてあそびたてまつりたまふになむ、過ぐる齢のしるし、 うれしく思されける。試楽に、右大臣殿の北の方も渡りたま へり。大将の君、丑寅の町にて、まづ内々に、調楽のやうに

明け暮れ遊び馴らしたまひければ、かの御方は御前のものは 見たまはず。  衛門督を、かかる事のをりもまじらはせざらむは、いとは えなくさうざうしかるべき中に、人、あやし、とかたぶきぬ べきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづ らふよし申して参らず。さるは、そこはかと苦しげなる病に もあらざなるを、思ふ心のあるにや、と心苦しく思して、と り分きて御消息遣はす。父大臣も、 「などか、返さひ申され ける。ひがひがしきやうに、院にも聞こしめさむを、おどろ おどろしき病にもあらず、助けて参りたまへ」とそそのかし たまふに、かく重ねてのたまへれば、苦し、と思ふ思ふ参 りぬ。  まだ、上達部なども集ひたまはぬほどなりけり。例の、け 近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾おろしておはしま す。げに、いといたく痩せ痩せに青みて、例も、誇りかに華

やぎたる方は、弟の君たちにはもて消たれて、いと用意あり 顔にしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひ たまふさま、などかは皇女たちの御傍にさし並べたらむに さらに咎あるまじきを、ただ事のさまの、誰も誰も、いと思 ひやりなきこそいと罪ゆるしがたけれなど御目とまれど、さ りげなく、いとなつかしく、 「その事となくて、対面もい と久しくなりにけり。月ごろは、いろいろの病者を見あつか ひ、心の暇なきほどに、院の御賀のため、ここにものしたま ふ皇女の、法事仕うまつりたまふべくありしを、次々とどこ ほること繁くて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあ へで、型のごとくなん斎の御鉢まゐるべきを、御賀などいへ ば、ことごとしきやうなれど、家に生ひ出づる童べの数多く なりにけるを御覧ぜさせむとて、舞など習はしはじめし、そ の事をだにはたさんとて、拍子ととのへむこと、また誰にか はと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろとぶらひものしたまは

ぬ恨みも棄ててける」
とのたまふ御気色の、うらなきやうな るものからいといと恥づかしきに、顔の色違ふらむとおぼえ て、御答へもとみにえ聞こえず。 「月ごろ、方々に思し悩む御こと承り嘆きはべりながら、 春のころほひより、例もわづらひはべる乱り脚病といふもの ところせく起こりわづらひはべりて、はかばかしく踏み立つ ることもはべらず、月ごろに添へて沈みはべりてなむ、内裏 などにも参らず、世の中跡絶えたるやうにて籠りはべる。院 の御齢足りたまふ年なり、人よりさだかに数へたてまつり 仕うまつるべきよし、致仕の大臣思ひおよび申されしを、 冠を挂け、車を惜しまず棄ててし身にて、進み仕うまつら むにつく所なし、げに下臈なりとも、同じごと深きところ はべらむ、その心御覧ぜられよ、ともよほし申さるることの はべりしかば、重き病をあひ助けてなん、参りてはべりし。 今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして、いかめ

しき御よそひを待ちうけたてまつりたまはむこと、願はしく も思すまじく見たてまつりはべりしを、事どもをばそがせた まひて、静かなる御物語の深き御願ひかなはせたまはむなん、 まさりてはべるべき」
と申したまへば、いかめしく聞きし御- 賀の事を、女二の宮の御方ざまには言ひなさぬも、労ありと 思す。   「ただかくなん。事そぎたるさまに世人は浅く見るべき を、さはいへど、心得てものせらるるに、さればよとなむ、 いとど思ひなられはべる。大将は、公方は、やうやう大人ぶ めれど、かうやうに情びたる方は、もとよりしまぬにやあら む。かの院、何ごとも心及びたまはぬことはをさをさなき 中にも、楽の方の事は御心とどめて、いとかしこく知りとと のへたまへるを、さこそ思し棄てたるやうなれ、静かに聞こ しめし澄まさむこと、今しもなむ心づかひせらるべき。かの 大将ともろともに見入れて、舞の童べの用意心ばへよく加へ

たまへ。物の師などいふものは、ただわが立てたることこそ あれ、いと口惜しきものなり」
など、いとなつかしくのたま ひつくるを、うれしきものから苦しくつつましくて、言少な にて、この御前をとく立ちなむと思へば、例のやうにこまや かにもあらでやうやうすべり出でぬ。 東の御殿にて、大将のつくろひ出だしたまふ楽人舞人の 装束のことなど、またまた行ひ加へたまふ。あるべき限りい みじく尽くしたまへるに、いとどくはしき心しらひ添ふも、 げにこの道はいと深き人にぞものしたまふめる。 今日は、かかる試みの日なれど、御方々もの見たまはむに、 見どころなくはあらせじとて、かの御賀の日は、赤き白橡に、 葡萄染の下襲を着るべし、今日は、青色に蘇芳襲、楽人三十 人、今日は白襲を着たる、辰巳の方の釣殿につづきたる廊を 楽所にして、山の南の側より御前に出づるほど、仙遊霞とい ふもの遊びて、雪のただいささか散るに、春のとなり近く、

梅のけしき見るかひありてほほ笑みたり。廂の御簾の内にお はしませば、式部卿宮、右大臣ばかりさぶらひたまひて、そ れより下の上達部は、簀子に、わざとならぬ日のことにて、 御饗応などけ近きほどに仕うまつりなしたり。  右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の君 たち二人は万歳楽、まだいと小さきほどにて、いとらうたげ なり。四人ながらいづれとなく、高き家の子にて、容貌をか しげにかしづき出でたる、思ひなしもやむごとなし。また、 大将の御子の典侍腹の二郎君、式部卿宮の兵衛督といひし、 今は源中納言の御子皇瘴*、 右の大殿の三郎君陵王、 大将殿の太郎落蹲、さて は、太平楽喜春楽などい ふ舞どもをなん、同じ御- 仲らひの君たち、大人た

ちなど舞ひける。暮れゆけば、御簾上げさせたまひて、もの の興まさるに、いとうつくしき御孫の君たちの容貌姿にて、 舞のさまも世に見えぬ手を尽くして、御師どもも、おのおの 手の限りを教へきこえけるに、深きかどかどしさを加へてめ づらかに舞ひたまふを、いづれをもいとらうたしと思す。老 いたまへる上達部たちは、みな涙落したまふ。式部卿宮も、 御孫を思して、御鼻の色づくまでしほたれたまふ。  主の院、 「過ぐる齢にそへては、酔泣きこそとどめがたき わざなりけれ。衛門督心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づ かしや。さりとも、いましばしならん。さかさまに行かぬ年- 月よ。老は、えのがれぬわざなり」とてうち見やりたまふ に、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいと悩まし ければ、いみじき事も目もとまらぬ心地する人をしも、さし 分きて空酔をしつつかくのたまふ、戯れのやうなれど、いと ど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けし

きばかりにて紛らはすを御覧じとがめて、持たせながらたび たび強ひたまへば、はしたなくてもてわづらふさま、なべて の人に似ずをかし。 柏木悩乱し病の身を親もとに養う 心地かき乱りてたへがたければ、まだ事も はてぬにまかでたまひぬるままに、いとい たくまどひて、 「例の、いとおどろおどろ しき酔にもあらぬを、いかなればかかるならむ。つつまし とものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや。いとさいふば かり、臆すべき心弱さとはおぼえぬを、言ふかひなくもあり けるかな」とみづから思ひ知らる。しばしの酔のまどひにも あらざりけり。やがて、いといたくわづらひたまふ。大臣、 母北の方思し騒ぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、 殿に渡したてまつりたまふを、女宮の思したるさま、またい と心苦し。  事なくて過ぐすべき日ごろは心のどかにあいな頼みして、

いとしもあらぬ御心ざしなれど、今は、と別れたてまつるべ き門出にやと思ふは、あはれに悲しく、後れて思し嘆かん ことのかたじけなきをいみじと思ふ。母御息所も、いといみ じく嘆きたまひて、 「世の事として、親をばなほさるも のにおきたてまつりて、かかる御仲らひは、とあるをりもか かるをりも、離れたまはぬこそ例のことなれ、かくひき別れ て、たひらかにものしたまふまでも過ぐしたまはむが心づく しなるべきことを。しばしここにてかくて試みたまへ」と、 御かたはらに御几帳ばかりを隔てて見たてまつりたまふ。 「ことわりや。数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひにな まじひにゆるされたてまつりてさぶらふしるしには、長く世 にはべりて、かひなき身のほども、すこし人と等しくなるけ ぢめをもや御覧ぜらるる、とこそ思うたまへつれ、いといみ じくかくさへなりはべれば、深き心ざしをだに御覧じはてら れずやなりはべりなむ、と思うたまふるになん、とまりがた

き心地にも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」
など、か たみに泣きたまひて、とみにもえ渡りたまはねば、また、母 北の方うしろめたく思して、 「などか、まづ見えむと は思ひたまふまじき。我は、心地もすこし例ならず心細き時 は、あまたの中にまづとり分きて、ゆかしくも頼もしくもこ そおぼえたまへ。かく、いとおぼつかなきこと」と恨みきこ えたまふも、また、いとことわりなり。 「人より先なりけ るけぢめにや、とり分きて思ひ馴らひたるを、今になほかな しくしたまひて、しばしも見えぬをば苦しきものにしたまへ ば、心地のかく限りにおぼゆるをりしも見えたてまつらざら む、罪深くいぶせかるべし。今は、と頼みなく聞かせたまは ば、いと忍びて渡りたまひて御覧ぜよ。必ずまた対面たまは らむ。あやしくたゆく愚かなる本性にて、事にふれておろか に思さるることもありつらむこそ、悔しくはべれ。かかる命 のほどを知らで、行く末長くのみ思ひはべりけること」と、

泣く泣く渡りたまひぬ。宮は、とまりたまひて、言ふ方なく 思しこがれたり。 大殿に待ちうけきこえたまひて、よろづに騒ぎたまふ。さ るは、たちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、 月ごろ物などをさらにまゐらざりけるに、いとどはかなき柑- 子などをだに触れたまはず、ただ、やうやう物にひき入るる やうにぞ見えたまふ。さる時の有職のかくものしたまへば、 世の中惜しみあたらしがりて、御とぶらひに参りたまはぬ人 なし。内裏よりも、院よりも、御とぶらひしばしば聞こえつ つ、いみじく惜しみ思しめしたるにも、いとどしき親たちの 御心のみまどふ。六条院にも、いと口惜しきわざなりと思し おどろきて、御とぶらひに、たびたび、ねむごろに父大臣に も聞こえたまふ。大将は、ましていとよき御仲なれば、け近 くものしたまひつつ、いみじく嘆き歩きたまふ。 朱雀院の五十の賀、歳末に催される

御賀は、二十五日になりにけり。かかる時 のやむごとなき上達部の重くわづらひた まふに、親はらから、あまたの人々、さる 高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさ まじきやうなれど、次々にとどこほりつることだにあるを、 さてやむまじき事なれば、いかでかは思しとどまらむ。女宮 の御心の中をぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。例の五- 十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも摩訶毘廬遮那 の。
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