源氏物語

玉鬘、尚侍出仕を前に、身の上を思い悩む

Purple Trousers

尚侍の御宮仕のことを、誰も誰もそその かしたまふも、いかならむ、親と思ひきこ ゆる人の御心だに、うちとくまじき世なり ければ、ましてさやうのまじらひにつけて、心よりほかに便 なきこともあらば、中宮も女御も、方々につけて心おきたま はば、はしたなからむに、わが身はかくはかなきさまにて、 いづ方にも深く思ひとどめられたてまつるほどもなく、浅き おぼえにて、ただならず思ひ言ひ、いかで人わらへなるさま に見聞きなさむ、とうけひたまふ人々も多く、とかくにつけ て、安からぬ事のみありぬべきを、もの思し知るまじきほど にしあらねば、さまざまに思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。 「さりとて、かかるありさまもあしきことはなけれど、この

大臣の御心ばへのむつかしく心づきなきも、いかなるついで にかは、もて離れて、人の推しはかるべかめる筋を、心清く もありはつべき。実の父大臣も、この殿の思さむところを憚 りたまひて、うけばりてとり放ち、けざやぎたまふべき事に もあらねば、なほ、とてもかくても見苦しう、かけかけしき ありさまにて心を悩まし、人にもて騒がるべき身なめり」
と、 なかなかこの親尋ねきこえたまひて後は、ことに憚りたまふ 気色もなき大臣の君の御もてなしを取り加へつつ、人知れず なん嘆かしかりける。  思ふことを、まほならずとも、片はしにても、うちかすめ つべき女親もおはせず、いづ方もいづ方も、いと恥づかしげ にいとうるはしき御さまどもには、何ごとをかは、さなむか くなんとも聞こえわきたまはむ。世の人に似ぬ身のありさま をうちながめつつ、夕暮の空あはれげなるけしきを、端近う て見出だしたまへるさまいとをかし。 夕霧、玉鬘を訪れ、その胸中を訴える

薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれ て、例に変りたる色あひにしも、容貌はい と華やかにもてはやされておはするを、御- 前なる人々はうち笑みて見たてまつるに、宰相中将、同じ 色のいますこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿 しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。  はじめより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、もて 離れてうとうとしきさまには、もてなしたまはざりしならひ に、今、あらざりけりとて、こよなく変らむもうたてあれば、 なほ御簾に几帳添へたる御- 対面は、人づてならであり けり。殿の御消息にて、内- 裏より仰せ言あるさま、や がてこの君の承りたまへ るなりけり。

 御返り、おほどかなるものから、いとめやすく聞こえなし たまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かの 野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋 に思ひし、聞き明らめて後は、なほもあらぬ心地添ひて、 「こ の宮仕を、おほかたにしも思し放たじかし。さばかり見どこ ろある御あはひどもにて、をかしきさまなることのわづらは しき、はた、必ず出で来なんかし」と思ふに、ただならず胸塞 がる心地すれど、つれなくすくよかにて、 「人に聞かすま じとはべりつることを聞こえさせんに、いかがはべるべき」 と気色だてば、近くさぶらふ人も、すこし退きつつ、御几帳の 背後などにそばみあへり。  空消息をつきづきしくとりつづけて、こまやかに聞こえた まふ。上の御気色のただならぬ筋を、さる御心したまへ、な どやうの筋なり。答へたまはん言もなくて、ただうち嘆きた まへるほど、忍びやかにうつくしくいとなつかしきに、なほ

え忍ぶまじく、 「御服もこの月には脱がせたまふべきを、 日次なんよろしからざりける。十三日に、河原へ出でさせた まふべきよしのたまはせつる。なにがしも御供にさぶらふべ くなん思ひたまふる」と聞こえたまへば、 「たぐひたまは んもことごとしきやうにやはべらん。忍びやかにてこそよく はべらめ」とのたまふ。この御服なんどのくはしきさまを、 人にあまねく知らせじ、とおもむけたまへる気色いと労あり。 中将も、 「漏らさじとつつませたまふらむこそ心憂けれ。忍 びがたく思ひたまへらるる形見なれば、脱ぎ棄てはべらむこ とも、いとものうくはべるものを。さても、あやしうもて離 れぬことの、また心得がたきにこそはべれ。この御あらはし 衣の色なくは、えこそ思ひたまへ分くまじかりけれ」とのた まへば、 「何ごとも思ひ分かぬ心には、ましてともかくも 思ひたまへたどられはべらねど、かかる色こそ、あやしくも のあはれなるわざにはべりけれ」とて、例よりもしめりたる

御気色、いとらうたげにをかし。  かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろ きを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、 「こ れも御覧ずべきゆゑはありけり」とて、とみにもゆるさで持 たまへれば、うつたへに、思ひもよらで取りたまふ御袖をひ き動かしたり。 おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごと   ばかりも 「道のはてなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、 見知らぬさまに、やをらひき入りて、 「たづぬるにはるけき野辺の露ならばうす紫やかごと   ならまし かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」とのたまへば、 すこしうち笑ひて、 「浅きも深きも、思し分く方ははべり なんと思ひたまふる。まめやかには、いとかたじけなき筋を

思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心の中を、いかでか知ろ しめさるべき。なかなか思し疎まんがわびしさに、いみじく 籠めはべるを、今はた同じと思ひたまへわびてなむ。頭中将 の気色は御覧じ知りきや。人の上に、なんど思ひはべりけん。 身にてこそいとをこがましく、かつは思ひたまへ知られけれ。 なかなか、かの君は思ひさまして、つひに御あたり離るまじ き頼みに、思ひ慰めたる気色など見はべるも、いとうらやま しくねたきに、あはれとだに思しおけよ」
など、こまかに聞 こえ知らせたまふこと多かれど、かたはらいたければ書かぬ なり。  尚侍の君、やうやうひき入りつつ、むつかしと思したれば、 「心憂き御気色かな。過ちすまじき心のほどは、おのづか ら御覧じ知らるるやうもはべらむものを」とて、かかるつい でに、いますこしも漏らさまほしけれど、 「あやしく悩ま しくなむ」とて、入りはてたまひぬれば、いといたくうち嘆

きて立ちたまひぬ。 夕霧、玉鬘の件につき源氏に問いつめる なかなかにもうち出でてけるかな、と口惜 しきにつけても、かのいますこし身にしみ ておぼえし御けはひを、かばかりの物越し にても、ほのかに御声をだに、いかならむついでにか聞かむ、 と安からず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、 御返りなど聞こえたまふ。 「この宮仕を、しぶげにこそ思ひたまへれ。宮などの練 じたまへる人にて、いと心深きあはれを尽くし、言ひ悩まし たまふに、心やしみたまふらんと思ふになん心苦しき。され ど、大原野の行幸に、上を見たてまつりたまひては、いとめ でたくおはしけり、と思ひたまへりき。若き人は、ほのかに も見たてまつりて、えしも宮仕の筋もて離れじ。さ思ひてな ん、このこともかくものせし」などのたまへば、 「さても 人ざまは、いづ方につけてかは、たぐひてものしたまふらむ。

中宮かく並びなき筋にておはしまし、また弘徽殿やむごとな くおぼえことにてものしたまへば、いみじき御思ひありとも、 立ち並びたまふこと難くこそはべらめ。宮はいとねむごろに 思したなるを、わざとさる筋の御宮仕にもあらぬものから、 ひき違へたらむさまに御心おきたまはむも、さる御仲らひに ては、いとほしくなん聞きたまふる」
と、大人大人しく申し たまふ。 「難しや。わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、 大将さへ我をこそ恨むなれ。すべてかかることの心苦しさを 見過ぐさで、あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわ ざなりけり。かの母君の、あ はれに言ひおきしことの忘れ ざりしかば、心細き山里にな むと聞きしを、かの大臣はた、 聞き入れたまふべくもあらず と愁へしに、いとほしくてか

く渡しはじめたるなり。ここにかくものめかすとて、かの大- 臣も人めかいたまふなめり」
と、つきづきしくのたまひなす。 「人柄は、宮の御人にていとよかるべし。今めかしく、い となまめきたるさまして、さすがに賢く、過ちすまじくなど して、あはひはめやすからむ。さてまた宮仕にも、いとよく 足らひたらんかし。容貌よくらうらうじきものの、公事な どにもおぼめかしからず、はかばかしくて、上の常に願はせ たまふ御心には違ふまじ」など、のたまふ気色の見まほしけ れば、 「年ごろかくてはぐくみきこえたまひける御心ざし を、ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣もさやうになむ おもぶけて、大将のあなたざまのたよりに気色ばみたりける にも、答へたまひける」と聞こえたまへば、うち笑ひて、 「方々いと似げなきことかな。なほ、宮仕をも何ごとをも、 御心ゆるして、かくなんと思されんさまにぞ従ふべき。女は 三つに従ふものにこそあなれど、ついでを違へて、おのが心

に任せんことは、あるまじきことなり」
とのたまふ。 「内- 内にも、やむごとなきこれかれ年ごろを経てものしたまへば、 えその筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲り つけ、おほぞうの宮仕の筋に、領ぜんと思しおきつる、いと 賢くかどあることなりとなん、よろこび申されけると、たし かに人の語り申しはべりしなり」と、いとうるはしきさまに 語り申したまへば、げに、さは思ひたまふらむかしと思すに、 いとほしくて、 「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひ けるかな。いたり深き御心ならひならむかし。いまおのづか ら、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈な しや」と笑ひたまふ。  御気色はけざやかなれど、なほ疑ひはおかる。大臣も、 「然 りや。かく人の推しはかる、案におつることもあらましかば、 いと口惜しくねぢけたらまし。かの大臣に、いかでかく心清 きさまを、知らせたてまつらむ」と思すにぞ、げに宮仕の筋

にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、かしこくも思 ひ寄りたまひけるかな、とむくつけく思さる。 玉鬘の出仕決定に、懸想人たち焦慮する かくて御服など脱ぎたまひて、 「月立たば なほ参りたまはむこと忌あるべし。十月ば かりに」と思しのたまふを、内裏にも心も となく聞こしめし、聞こえたまふ人々は、誰も誰もいと口惜 しくて、この御参りのさきに、と心寄せのよすがよすがに責 めわびたまへど、吉野の滝を堰かむよりも難きことなれば、 「いとわりなし」とおのおの答ふ。  中将も、なかなかなることをうち出でて、いかに思すらむ、 と苦しきままに、駆り歩きて、いとねむごろに、おほかたの 御後見を思ひあつかひたるさまにて、追従し歩きたまふ。た はやすく軽らかにうち出でては聞こえかかりたまはず、めや すくもてしづめたまへり。  実の御兄弟の君たちはえ寄り来ず、宮仕のほどの御後見を、

とおのおの心もとなくぞ思ひける。頭中将、心を尽くしわび しことはかき絶えにたるを、うちつけなりける御心かな、と 人々はをかしがるに、殿の御使にておはしたり。なほもて出 でず、忍びやかに御消息なども聞こえかはしたまひければ、 月の明かき夜、桂の蔭に隠れてものしたまへり。見聞き入る べくもあらざりしを、なごりなく南の御簾の前に据ゑたてま つる。 柏木、玉鬘を訪問、恨み言を述べる みづから聞こえたまはんことはしも、なほ つつましければ、宰相の君して答へ聞こえ たまふ。 「なにがしらを選びて奉りたま へるは、人づてならぬ御消息にこそはべらめ。かくもの遠く ては、いかが聞こえさすべからむ。みづからこそ数にもはべ らねど、絶えぬたとひもはべなるは。いかにぞや、古代のこ となれど、頼もしくぞ思ひたまへける」とて、ものしと思ひ たまへり。 「げに、年ごろのつもりも取り添へて、聞こえ

まほしけれど、日ごろあやしく悩ましくはべれば、起き上り などもえしはべらでなむ。かくまで咎めたまふも、なかなか うとうとしき心地なむしはべりける」
と、いとまめだちて聞 こえ出だしたまへり。 「悩ましく思さるらむ御几帳のもと をば、ゆるさせたまふまじくや。よしよし。げに、聞こえさ するも心地なかりけり」とて、大臣の御消息ども忍びやかに 聞こえたまふ。用意など人には劣りたまはず、いとめやすし。 「参りたまはむほどの案内、くはしきさまもえ聞かぬを、内々 にのたまはむなんよからむ。何ごとも人目に憚りてえ参り来 ず、聞こえぬことをなむ、なかなかいぶせく思したる」など、 語りきこえたまふついでに、 「いでや、をこがましきこと も、えぞ聞こえさせぬや。いづ方につけても、あはれをば御- 覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひは べるかな。まづは今宵などの御もてなしよ。北面だつ方に召 し入れて、君達こそめざましくも思しめさめ、下仕などやう

の人々とだにうち語らはばや。またかかるやうはあらじかし。 さまざまにめづらしき世なりかし」
と、うち傾きつつ、恨み つづけたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。 「げに、 人聞きをうちつけなるやうにや、と憚りはべるほどに、年ご ろの埋れいたさをも、明らめはべらぬは、いとなかなかなる こと多くなむ」と、ただすくよかに聞こえなしたまふに、ま ばゆくて、よろづ押しこめたり。 「妹背山ふかき道をばたづねずてをだえの橋にふみま   どひける よ」と恨むるも人やりならず。 まどひける道をば知らで妹背山たどたどしくぞたれ   もふみみし 「いづ方のゆゑとなむ、え思し分かざめりし。何ごとも、 わりなきまで、おほかたの世を憚らせたまふめれば、え聞こ えさせたまはぬになむ。おのづからかくのみもはべらじ」

聞こゆるも、さることなれば、 「よし、長居しはべらむも すさまじきほどなり。やうやう臈つもりてこそは、かごとを も」とて立ちたまふ。  月隈なくさし上りて、空のけしきも艶なるに、いとあてや かにきよげなる容貌して、御直衣の姿、好ましく華やかにて いとをかし。宰相中将のけはひありさまには、え並びたま はねど、これもをかしかめるは、いかでかかる御仲らひなり けむと、若き人々は、例の、さるまじきことをもとりたてて めであへり。 鬚黒大将、玉鬘に対して熱心に言い寄る 大将は、この中将は同じ右の次将なれば、 常に呼びとりつつ、ねむごろに語らひ、大- 臣にも申させたまひけり。人柄もいとよく、 朝廷の御後見となるべかめる下形なるを、などかはあらむと 思しながら、かの大臣のかくしたまへることを、いかがは聞 こえ返すべからん、さるやうあることにこそ、と心得たまへ

る筋さへあれば、まかせきこえたまへり。  この大将は、春宮の女御の御兄弟にぞおはしける。大臣た ちを措きたてまつりて、さし次ぎの御おぼえいとやむごとな き君なり。年三十二三のほどにものしたまふ。北の方は紫の 上の御姉ぞかし。式部卿宮の御大君よ。年のほど三つ四つが 年上は、ことなるかたはにもあらぬを、人柄やいかがおはし けむ、嫗とつけて心にも入れず、いかで背きなんと思へり。 その筋により、六条の大臣は、大将の御事は、似げなくいと ほしからむと思したるなめり。色めかしくうち乱れたるとこ ろなきさまながら、いみじくぞ心を尽くし歩きたまひける。 「かの大臣も、もて離れても思したらざなり。女は宮仕をも のうげに思いたなり」と内々の気色も、さるくはしきたより しあれば、漏り聞きて、 「ただ大殿の御おもむけのこと なるにこそはあなれ。実の親の御心だに違はずは」と、この 弁のおもとにも責めたまふ。 九月、玉鬘に文集まる 兵部卿宮に返歌

九月にもなりぬ。初霜結ぼほれ、艶なる朝 に、例の、とりどりなる御後見どもの引き そばみつつ持て参る御文どもを、見たまふ こともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。大将殿の には、 「なほ頼み来しも過ぎゆく空のけしきこそ、心づくし に、  数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかな き」 月たたば、とある定めを、いとよく聞きたまふなめり。 兵部卿宮は、 「言ふかひなき世は、聞こえむ方なきを、  朝日さすひかりを見ても玉笹の葉分の霜を消たずもあら  なむ 思しだに知らば、慰む方もありぬべくなん」とて、いとかし けたる下折れの霜も落さず持て参れる、御使さへぞうちあひ たるや。

 式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御兄弟ぞかし。親しく 参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案- 内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。いと多く恨みつづ けて、 忘れなむと思ふもものの悲しきをいかさまにして   いかさまにせむ 紙の色、墨つき、しめたる匂ひもさまざまなるを、人々もみ な、 「思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ」など言ふ。  宮の御返りをぞ、いかが思すらむ、ただいささかにて、 心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは   消つ とほのかなるを、いとめづらしと見たまふに、みづからはあ はれを知りぬべき御気色にかけたまへれば、露ばかりなれど、 いとうれしかりけり。かやうに、何となけれど、さまざまな る人々の、御わびごとも多かり。

 女の御心ばへは、この君をなんもとにすべきと、大臣たち 定めきこえたまひけりとや。
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