源氏物語

源氏の懸想ゆえに、玉鬘大いに困惑する

Fireflies

今はかく重々しきほどに、よろづのどやか に思ししづめたる御ありさまなれば、頼み きこえさせたまへる人々、さまざまにつけ て、みな思ふさまに定まり、ただよはしからで、あらまほし くて過ぐしたまふ。  対の姫君こそ、いとほしく、思ひの外なる思ひ添ひて、い かにせむと思し乱るめれ。かの監がうかりしさまには、なず らふべきけはひならねど、かかる筋に、かけても人の思ひ寄 りきこゆべきことならねば、心ひとつに思しつつ、さま異に うとましと思ひきこえたまふ。何ごとをも思し知りにたる御- 齢なれば、とざまかうざまに思し集めつつ、母君のおはせず なりにける口惜しさも、またとり返し惜しく悲しくおぼゆ。

 大臣も、うち出でそめたまひては、なかなか苦しく思せど、 人目を憚りたまひつつ、はかなきことをもえ聞こえたまはず、 苦しくも思さるるままに、繁く渡りたまひつつ、御前の人遠 くのどやかなるをりは、ただならず気色ばみきこえたまふご とに、胸つぶれつつ、けざやかにはしたなく聞こゆべきには あらねば、ただ見知らぬさまにもてなしきこえたまふ。人ざ まのわららかに、け近くものしたまへば、いたくまめだち、 心したまへど、なほをかしく愛敬づきたるけはひのみ見えた まへり。 螢宮焦慮 源氏、女房に返事を書かせる 兵部卿宮などは、まめやかに責めきこえた まふ。御労のほどはいくばくならぬに、五- 月雨になりぬる愁へをしたまひて、 「す こしけ近きほどをだにゆるしたまはば。思ふことをも、片は しはるけてしがな」と聞こえたまへるを、殿御覧じて、 「何かは。この君たちのすきたまはむは、見どころありなむ

かし。もて離れてな聞こえたまひそ。御返り時々聞こえたま へ」
とて、教へて書かせたてまつりたまへど、いとどうたて おぼえたまへば、乱り心地あしとて聞こえたまはず。人々も、 ことにやむごとなく、寄せ重きなどもをさをさなし。ただ母- 君の御をぢなりける宰相ばかりの人のむすめにて、心ばせな ど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとりたまへる、 宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたも大人びた る人なれば、さるべきをりをりの御返りなど書かせたまへば、 召し出でて、言葉などのたまひて書かせたまふ。ものなどの たまふさまを、ゆかしと思すなるべし。  正身は、かくうたてあるもの嘆かしさの後は、この宮など はあはれげに聞こえたまふ時は、すこし見入れたまふ時もあ りけり。何かと思ふにはあらず、かく心うき御気色見ぬわざ もがなと、さすがにされたるところつきて思しけり。 源氏、螢火により宮に玉鬘の姿を見せる

殿は、あいなく、おのれ心げさうして、宮 を待ちきこえたまふも、知りたまはで、よ ろしき御返りのあるをめづらしがりて、い と忍びやかにおはしましたり。妻戸の間に御褥まゐらせて、 御几帳ばかりを隔てにて、近きほどなり。いといたう心して、 そらだきもの心にくきほどに匂はして、つくろひおはするさ ま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあは れに見えたまふ。宰相の君なども、人の御答へ聞こえむ事も おぼえず、恥づかしくてゐたるを、埋れたりとひきつみたま へば、いとわりなし。タ闇過ぎて、おぼつかなき空のけしき の曇らはしきに、うちしめりたる宮の御けはひも、いと艶な り。内よりほのめく追風も、いとどしき御匂ひのたち添ひた れば、いと深くかをり満ちて、かねて思ししよりもをかしき 御けはひを、心とどめたまひけり。うち出でて、思ふ心のほ どをのたまひつづけたる言の葉おとなおとなしく、ひたぶる

にすきずきしくはあらで、いとけはひことなり。大臣、いと をかしとほの聞きおはす。  姫君は、東面にひき入りて大殿籠りにけるを、宰相の君 の御消息つたへにゐざり入りたるにつけて、 「いとあまり 暑かはしき御もてなしなり。よろづの事さまに従ひてこそめ やすけれ。ひたぶるに若びたまふべきさまにもあらず。この 宮たちをさへ、さし放ちたる人づてに聞こえたまふまじきこ となりかし。御声こそ惜しみたまふとも、すこしけ近くだに こそ」など、諫めきこえたまへど、いとわりなくて、ことつ けても這ひ入りたまひぬべき 御心ばへなれば、とざまかう ざまにわびしければ、すべり 出でて、母屋の際なる御几帳 のもとに、かたはら臥したま へる。何くれと言長き御答へ

聞こえたまふこともなく、思しやすらふに、寄りたまひて、 御几帳の帷子を一重うちかけたまふにあはせて、さと光るも の、紙燭をさし出でたるか、とあきれたり。螢を薄きかたに、 この夕つ方いと多くつつみおきて、光をつつみ隠したまへり けるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて。にはか にかく掲焉に光れるに、あさましくて、扇をさし隠したまへ るかたはら目いとをかしげなり。 「おどろかしき光見えば、 宮ものぞきたまひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、 かくまでのたまふなめり。人ざま容貌など、いとかくしも具 したらむとは、え推しはかりたまはじ。いとよくすきたまひ ぬべき心まどはさむ」と構へ歩きたまふなりけり。まことの わが姫君をば、かくしももて騒ぎたまはじ、うたてある御心 なりけり。他方より、やをらすべり出でて渡りたまひぬ。  宮は、人のおはするほど、さばかりと推しはかりたまふが、 すこしけ近きけはひするに、御心ときめきせられたまひて、

えならぬ羅の帷子の隙より見入れたまへるに、一間ばかり隔 てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、を かしと見たまふ。ほどもなく紛らはして隠しつ。されどほの かなる光、艶なる事のつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、 そびやかに臥したまへりつる様体のをかしかりつるを、飽か ず思して、げにこの事御心にしみにけり。 「なく声もきこえぬ虫の思ひだに人の消つにはきゆる   ものかは 思ひ知りたまひぬや」と聞こえたまふ。かやうの御返しを、 思ひまはさむもねぢけたれば、疾きばかりをぞ、 こゑはせで身をのみこがす螢こそいふよりまさる思   ひなるらめ など、はかなく聞こえなして、御みづからはひき入りたまひ にければ、いと遙かにもてなしたまふ愁はしさを、いみじく 恨みきこえたまふ。すきずきしきやうなれば、ゐたまひも明

かさで、軒の雫も苦しさに、濡れ濡れ夜深く出でたまひぬ。 郭公など必ずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きもと どめね。御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君 に似たてまつりたまへりと人々もめできこえけり。昨夜いと 女親だちて、つくろひたまひし御けはひを、内々は知らで、 あはれにかたじけなしとみな言ふ。 源氏、玉鬘への愛執に苦しみつつも自制 姫君は、かくさすがなる御気色を、 「わが みづからのうさぞかし。親などに知られた てまつり、世の人めきたるさまにて、かや うなる御心ばへならましかば、などかはいと似げなくもあら まし。人に似ぬありさまこそ。つひに世語にやならむ」と、 起き臥し思しなやむ。さるは、まことにゆかしげなきさまに はもてなし果てじ、と大臣は思しけり。なほさる御心癖なれ ば、中宮なども、いとうるはしくやは思ひきこえたまへる。 事にふれつつ、ただならず聞こえ動かしなどしたまへど、や

むごとなき方のおよびなくわづらはしさに、下り立ちあらは しきこえ寄りたまはぬを、この君は、人の御さまも、け近く 今めきたるに、おのづから思ひ忍びがたきに、をりをり人見 たてまつりつけば、疑ひ負ひぬべき御もてなしなどはうちま じるわざなれど、あり難く思し返しつつ、さすがなる御仲な りけり。 五月五日源氏玉鬘を訪れる その美しい容姿 五日には、馬場殿に出でたまひけるついで に、渡りたまへり。 「いかにぞや。宮は 夜やふかしたまひし。いたくも馴らしきこ えじ。わづらはしき気添ひたまへる人ぞや。人の心やぶり、 ものの過ちすまじき人は、難くこそありけれ」など、活けみ 殺しみいましめおはする御さま、尽きせず若くきよげに見え たまふ。艶も色もこぼるばかりなる御衣に直衣はかなく重な れるあはひも、いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世 の人の染め出だしたると見えず。常の色もかへぬあやめも、

今日はめづらかに、をかしくおぼゆるかをりなども、思ふこ となくは、をかしかりぬべき御ありさまかな、と姫君思す。 螢宮、玉鬘と「あやめ」の歌を贈答 宮より御文あり。白き薄様にて、御手はい とよしありて書きなしたまへり。見るほど こそをかしかりけれ、まねび出づれば、こ となることなしや。 今日さへやひく人もなき水隠れに生ふるあやめのね   のみなかれん 例にも引き出でつべき根に、結びつけたまへれば、 「今日 の御返り」などそそのかしおきて出でたまひぬ。これかれも、 「なほ」と聞こゆれば、御心にもいかが思しけむ、 「あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかず   なかれけるねの 若々しく」とばかり、ほのかにぞあめる。手をいますこしゆ ゑづけたらばと、宮は好ましき御心に、いささか飽かぬこと

と見たまひけむかし。薬玉など、えならぬさまにて、所どこ ろより多かり。思し沈みつる年ごろのなごりなき御ありさま にて、心ゆるびたまふことも多かるに、同じくは人の傷つく ばかりの事なくてもやみにしがな、といかが思さざらむ。 六条院において、馬場の競射を催す 殿は、東の御方にもさしのぞきたまひて、 「中将の今日の衛府の手番ひのついでに、 男ども引き連れてものすべきさまに言ひし を、さる心したまへ。まだ明かきほどに来なむものぞ。あや しく、ここにはわざとならず忍ぶることをも、この親王たち の聞きつけて、とぶらひものしたまへば、おのづからことご としくなむあるを。用意したまへ」など聞こえたまふ。  馬場殿は、こなた の廊より見通す、ほ ど遠からず。 「若 き人々。渡殿の戸開

けて物見よや。左の衛- 府にいとよしある官人 多かるころなり。少々 の殿上人に劣るまじ」
とのたまへば、物見む 事をいとをかしと思へ り。対の御方よりも、童べなど物見に渡り来て、廊の戸口に 御簾青やかに懸けわたして、今めきたる裾濃の御几帳ども立 てわたし、童下仕などさまよふ。菖蒲襲の衵、二藍の羅の汗- 衫着たる童べぞ、西の対のなめる。好ましく馴れたるかぎり 四人、下仕は楝の裾濃の裳、撫子の若葉の色したる唐衣、今- 日の装ひどもなり。こなたのは濃き一襲に、撫子襲の汗衫な どおほどかにて、おのおのいどみ顔なるもてなし、見どこ ろあり。若やかなる、殿上人などは、目をたてて気色ばむ。 未の刻に、馬場殿に出でたまひて、げに親王たちおはし集ひ

たり。手番ひの、 公事にはさま変りて、次将たちかき連れ 参りて、さまことに今めかしく遊び暮らしたまふ。女は、何 のあやめも知らぬ事なれど、舎人どもさへ艶なる装束を尽く して、身を投げたる手まどはしなどを、見るぞをかしかりけ る。南の町も通して遙々とあれば、あなたにもかやうの若き 人どもは見けり。打毬楽、落蹲など遊びて、勝負の乱声ども ののしるも、夜に入りはてて、何ごとも見えずなりはてぬ。 舎人どもの禄品々賜はる。いたく更けて、人々みなあかれた まひぬ。 源氏花散里のもとに泊まる 二人の仲らい 大臣はこなたに大殿籠りぬ。物語など聞こ えたまひて、 「兵部卿宮の、人よりはこ よなくものしたまふかな。容貌などはすぐ れねど、用意気色などよしあり、愛敬づきたる君なり。忍び て見たまひつや。よしといへど、なほこそあれ」とのたまふ。 「御弟にこそものしたまへど、ねびまさりてぞ見えたま

ひける。年ごろかくをり過ぐさず渡り睦びきこえたまふと聞 きはべれど、昔の内裏わたりにてほの見たてまつりし後、お ぼつかなしかし。いとよくこそ容貌などねびまさりたまひに けれ。帥親王よくものしたまふめれど、けはひ劣りて、大君 けしきにぞものしたまひける」
とのたまへば、ふと見知りた まひにけり、と思せど、ほほ笑みて、なほあるを、よしとも あしともかけたまはず。人の上を難つけ、おとしめざまのこ と言ふ人をば、いとほしきものにしたまへば、右大将などを だに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある、近きよす がにて見むは、飽かぬことにやあらむ、と見たまへど、言に あらはしてものたまはず。  今はただおほかたの御睦びにて、御座なども別々にて大殿- 籠る。などてかく離れそめしぞと、殿は苦しがりたまふ。お ほかた、何やかやとも側みきこえたまはで、年ごろかくをり ふしにつけたる御遊びどもを、人づてに見聞きたまひけるに、

今日めづらしかりつる事ばかりをぞ、この町のおぼえきらき らしと思したる。 その駒もすさめぬ草と名にたてる汀のあやめ今日   やひきつる とおほどかに聞こえたまふ。何ばかりのことにもあらねど、 あはれと思したり。 にほどりに影をならぶる若駒はいつかあやめにひき   わかるべき あいだちなき御言どもなりや。 「朝夕の隔てあるやうなれ ど、かくて見たてまつるは心やすくこそあれ」と、戯れごと なれど、のどやかにおはする人ざまなれば、静まりて聞こえ なしたまふ。床をば譲りきこえたまひて、御几帳ひき隔てて 大殿籠る。け近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき筋 に思ひ離れはてきこえたまへれば、あながちにも聞こえたま はず。

玉鬘、物語に熱中する 源氏の物語論 長雨例の年よりもいたくして、晴るる方な くつれづれなれば、御方々絵物語などのす さびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御- 方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の 御方に奉りたまふ。西の対には、ましてめづらしくおぼえた まふことの筋なれば、明け暮れ書き読み、営みおはす。つき なからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上な どを、まことにやいつはりにや、言ひ集めたる中にも、わが ありさまのやうなるはなかりけりと見たまふ。住吉の姫君の、 さし当りけむをりは、さるものにて、今の世のおぼえもなほ 心ことなめるに、主計頭が、ほとほとしかりけむなどぞ、か の監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。  殿も、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離 れねば、 「あなむつかし。女こそものうるさがらず、人に 欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中にまことはいと

少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、 はかられたまひて、暑かはしきさみだれの、髪の乱るるも知 らで書きたまふよ」
とて、笑ひたまふものから、また、 「かかる世の古事ならでは、げに何をか紛るることなきつれ づれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさも あらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はたはか なしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫- 君のもの思へる見るに、かた心つくかし。またいとあるまじ きことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目 驚きて、静かにまた聞くたびぞ憎けれど、ふとをかしきふし、 あらはなるなどもあるべし。このごろ幼き人の、女房などに 時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふ者の世にあるべき かな、そらごとをよくし馴れたる口つきよりぞ言ひ出だすら むとおぼゆれど、さしもあらじや」とのたまへば、 「げに いつはり馴れたる人や、さまざまにさも酌みはべらむ。ただ

いとまことの事とこそ思うたまへられけれ」
とて、硯を押し やりたまへば、 「骨なくも聞こえおとしてけるかな。神代 より世にある事を記しおきけるななり。日本紀などはただか たそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」 とて、笑ひたまふ。 「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそな けれ、よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽 かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほ しき節ぶしを、心に籠めがたくて、言ひおきはじめたるなり。 よきさまに言ふとては、よき事のかぎり選り出でて、人に従 はむとては、またあしきさまのめづらしき事をとり集めたる、 みなかたがたにつけたるこの世の外の事ならずかし。他の朝- 廷のさへ作りやうかはる、同じやまとの国の事なれば、昔今 のに変るべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひた ぶるにそらごとと言ひはてむも、事の心違ひてなむありける。

仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便 といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ違ふ疑ひをお きつべくなん、方等経の中に多かれど、言ひもてゆけば、一 つ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよき あしきばかりの事は変りける。よく言へば、すべて何ごとも 空しからずなりぬや」
と、物語をいとわざとの事にのたまひ なしつ。 「さてかかる古事の中に、まろがやうに実法なる痴者の 物語はありや。いみじくけ遠き、ものの姫君も、御心のやう につれなく、そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、た ぐひなき物語にして、世に伝へさせん」と、さし寄りて聞こ えたまへば、顔をひき入れて、 「さらずとも、かくめづら かなる事は、世語にこそはなりはべりぬべかめれ」とのたま へば、 「めづらかにやおぼえたまふ。げにこそまたなき心- 地すれ」とて寄りゐたまへるさま、いとあざれたり。

「思ひあまり昔のあとをたづぬれど親にそむける子ぞ   たぐひなき 不孝なるは、仏の道にもいみじくこそ言ひたれ」とのたまへ ど、顔ももたげたまはねば、御髪をかきやりつつ、いみじく 恨みたまへば、からうじて、 ふるき跡をたづぬれどげになかりけりこの世にかか   る親の心は と聞こえたまふも、心恥づかしければ、いといたくも乱れた まはず。かくしていかなるべき御ありさまならむ。 源氏と紫の上、物語の功罪を論ずる 紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて、 物語は捨てがたく思したり。くまのの物語 の絵にてあるを、 「いとよく描きたる 絵かな」とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝した まへる所を、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。 「かかる童どちだに、いかにざれたりけり。まろこそなほ

例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」
と聞こえ出で たまへり。げにたぐひ多からぬ事どもは、好み集めたまへり けりかし。 「姫君の御前にて、この世馴れたる物語など、な読み聞 かせたまひそ。みそか心つきたるもののむすめなどは、をか しとにはあらねど、かかる事世にはありけり、と見馴れたま はむぞゆゆしきや」とのたまふも、こよなし、と対の御方聞 きたまはば、心おきたまひつべくなむ。上、 「心浅げなる人 まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。うつほの藤原の 君のむすめこそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちな かめれど、すくよかに言ひ出でたる、しわざも女しきところ なかめるぞ、一やうなめる」とのたまへば、 「現の人もさ ぞあるべかめる。人々しく立てたるおもむき異にて、よきほ どに構へぬや。よしなからぬ親の心とどめて生ほしたてたる 人の、児めかしきを生けるしるしにて、後れたる事多かるは、

何わざしてかしづきしぞと、親のしわざさへ思ひやらるるこ そいとほしけれ。げにさ言へど、その人のけはひよと見えた るは、かひあり、面だたしかし。言葉の限りまばゆくほめお きたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることの中に、げに と見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。すべて、 よからぬ人に、いかで人ほめさせじ」
など、ただこの姫君の 点つかれたまふまじくと、よろづに思しのたまふ。継母の腹 きたなき昔物語も多かるを、心見えに心づきなしと思せば、 いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描か せたまひける。 源氏夕霧の扱いに配慮 夕霧恥辱を忘れず 中将の君を、こなたにはけ遠くもてなしき こえたまへれど、姫君の御方には、さしも さし放ちきこえたまはず馴らはしたまふ。 わが世のほどは、とてもかくても同じことなれど、なからむ 世を思ひやるに、なほ見つき、思ひしみぬることどもこそ、

とり分きてはおぼゆべけれとて、南面の御簾の内はゆるした まへり。台盤所の女房の中はゆるしたまはず。あまたおはせ ぬ御仲らひにて、いとやむごとなくかしづききこえたまへり。 おほかたの心もちゐなども、いとものものしく、まめやかに ものしたまふ君なれば、うしろやすく思しゆづれり。まだい はけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人の、もろ ともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の 殿の宮仕、いとよくしたまひて、をりをりにうちしほたれた まひけり。さもありぬべきあたりには、はかなし言ものたま ひふるるはあまたあれど、頼みかくべくもしなさず。さる方 になどかは見ざらむと、心とまりぬべきをも、強ひてなほざ り事にしなして、なほかの緑の袖を見えなほしてしがなと思 ふ心のみぞ、やむごとなきふしにはとまりける。あながちに などかかづらひまどはば、たふるる方にゆるしたまひもしつ べかめれど、つらしと思ひしをりをり、いかで人にもことわ

らせたてまつらむ、と思ひおきし忘れがたくて、正身ばかり には、おろかならぬあはれを尽くし見せて、おほかたには焦 られ思へらず。せうとの君たちなども、なまねたしなどのみ 思ふこと多かり。対の姫君の御ありさまを、右中将はいと深 く思ひしみて、言ひ寄るたよりもいとはかなければ、この君 をぞかこち寄りけれど、 「人の上にては、もどかしきわざ なりけり」と、つれなく答へてぞものしたまひける。昔の父 大臣たちの、御仲らひに似たり。 内大臣わが娘の不運を嘆く 夢占いのこと 内大臣は、御子ども腹々いと多かるに、 その生ひ出でたるおぼえ人柄に従ひつつ、 心にまかせたるやうなるおぼえ勢にて、 みななし立てたまふ。女はあまたもおはせぬを、女御もかく 思ししことのとどこほりたまひ、姫君もかく事違ふさまにて ものしたまへば、いと口惜しと思す。かの撫子を忘れたまは ず、もののをりにも語り出でたまひしことなれば、 「いかに

なりにけむ。ものはかなかりける親の心にひかれて、らうた げなりし人を、行く方知らずなりにたること。すべて女子と いはむものなん、いかにもいかにも目放つまじかりける。さ かしらにわが子といひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。 とてもかくても聞こえ出で来ば」
とあはれに思しわたる。君 たちにも、 「もしさやうなる名のりする人あらば、耳と どめよ。心のすさびにまかせて、さるまじき事も多かりし中 に、これは、いと、しかおしなべての際にも思はざりし人の、 はかなきもの倦じをして、かく少なかりけるもののくさはひ 一つを失ひたることの口惜しきこと」と、常にのたまひ出づ。 中ごろなどはさしもあらず、うち忘れたまひけるを、人のさ まざまにつけて、女子かしづきたまへるたぐひどもに、わが 思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く本意なく思すなりけり。  夢見たまひて、いとよく合はする者召して合はせたまひけ るに、 「もし年ごろ御心に知られたまはぬ御子を、人のもの

になして、聞こしめし出づることや」
と聞こえたりければ、 「女子の人の子になる事はをさをさなしかし。いかなる 事にかあらむ」など、このごろぞ思しのたまふべかめる。
目次         前章         次章