源氏物語

源氏と右近亡き夕顔を追慕する

The Jeweled Chaplet

年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つ ゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまど もを、見たまひ重ぬるにつけても、あらま しかばと、あはれに口惜しくのみ思し出づ。右近は、何の人- 数ならねど、なほその形見と見たまひて、らうたきものに思 したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひ のほどに、対の上の御方に、みな人々聞こえわたしたまひし ほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに 女君も思したれど、心の中には、 「故君ものしたまはましか ば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さ しも深き御心ざしなかりけるをだに、落しあぶさず取りし たためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列

にこそあらざらめ、この御殿移りの数の中にはまじらひたま ひなまし」
と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。 玉鬘、乳母に伴われて筑紫へ下向する かの西の京にとまりし若君をだに、行く方 も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、ま た、 「今さらにかひなき事によりて、わ が名もらすな」と口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねて も訪れきこえざりしほどに、その御乳母の夫、少弐になりて 行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫 へは行きける。  母君の御行く方を知らむとよろづの神仏に申して、夜昼 泣き恋ひて、さるべき所どころを尋ねきこえけれど、つひに え聞き出でず。 「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、 御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、 遙かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、父君にほ のめかさむ」と思ひけれど、さるべきたよりもなきうちに、

「母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが 聞こえむ」 「まだよくも見馴れたまはぬに、幼き人をとどめ たてまつりたまはむも、うしろめたかるべし」 「知りながら、 はた、率て下りね、とゆるしたまふべきにもあらず」など、 おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気- 高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟にのせて 漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。幼き心地 に母君を忘れず、をりをりに、 「母 の御もとへ行くか」と問ひたまふにつ けて、涙絶ゆる時なく、むすめどもも 思ひこがるるを、舟路ゆゆしと、かつ は諫めけり。  おもしろき所どころを見つつ、 「心- 若うおはせしものを、かかる道をも見 せたてまつるものにもがな」 「おはせ

ましかば、我らは下らざらまし」
と、京の方を思ひやらるる に、返る波もうらやましく心細きに、舟子どもの荒々しき声 にて、 「うら悲しくも遠く来にけるかな」とうたふを聞くま まに、二人さし向ひて泣きけり。 舟人もたれを恋ふとか大島のうらかなしげに声の聞こゆ   る 来し方も行く方もしらぬ沖に出でてあはれいづくに君を   恋ふらん 鄙の別れに、おのがじし心をやりて言ひける。  金の岬過ぎて、「我は忘れず」など、世とともの言ぐさに なりて、かしこに到り着きては、まいて遙かなるほどを思ひ やりて恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて明かし暮らす。 夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。同じさ まなる女など、添ひたまうて見えたまへば、なごり心地あし く悩みなどしければ、なほ世に亡くなりたまひにけるなめり、

と思ひなるも、いみじくのみなむ。 玉鬘、美しく成人し、人々懸想する 少弐、任はてて上りなむとするに、遙けき ほどに、ことなる勢なき人はたゆたひつつ、 すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病 して、死なむとする心地にも、この君の十ばかりにもなりた まへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、 「我さへうち棄てたてまつりて、いかなるさまにはふれた まはむとすらん。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけ なく思ひきこゆれど。何時しかも京に率てたてまつりて、さ るべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たて まつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、 思ひいそぎつるを、ここながら命たへずなりぬること」と、 うしろめたがる。男子三人あるに、 「ただこの姫君京に率 てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」 となむ言ひおきける。

 その人の御子とは館の人にも知らせず、ただ孫のかしづく べきゆゑあるとぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなく かしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心- 細くて、ただ京の出立をすれど、この少弐の仲あしかりける 国の人多くなどして、とざまかうざまに怖ぢ憚りて、我にも あらで年を過ぐすに、この君ねびととのひたまふままに、母- 君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、 品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうもの したまふ。聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息 がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰 も聞き入れず。 「容貌などはさてもありぬべけれど、いみ じきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限 りは持たらむ」と言ひ散らしたれば、 「故少弐の孫はかたは なむあんなる。あたらものを」と言ふなるを聞くもゆゆしく、 「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知ら

せたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたし、と思ひ きこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ棄てきこえ たまはじ」
など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じ ける。 肥後の土豪大夫監、玉鬘に求婚する むすめどもも男子どもも、所につけたるよ すがども出で来て、住みつきにたり。心の 中にこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざ かるやうに隔たり行く。もの思し知るままに、世をいとうき ものに思して、年三などしたまふ。二十ばかりになりたまふ ままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。この 住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささかよ しある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、な ほ絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしがましきまで なむ。  大夫監とて、肥後国に族ひろくて、かしこにつけてはおぼ

えあり、勢いかめしき兵ありけり。むくつけき心の中に、い ささか好きたる心まじりて、容貌ある女を集めて見むと思ひ ける。この姫君を聞きつけて、 「いみじきかたはありとも、 我は見隠して持たらむ」と、いとねむごろに言ひかかるを、 いとむくつけく思ひて、 「いかで。かかることを聞かで、尼 になりなむとす」と言はせたりければ、いよいよ危がりて、 おしてこの国に越え来ぬ。  この男子どもを呼びとりて語らふことは、 「思ふさまに なりなば、同じ心に勢をかはすべきこと」など語らふに、二- 人はおもむきにけり。 「しばしこそ似げなくあはれと思ひき こえけれ、おのおのわが身のよるべと頼まむに、いと頼もし き人なり。これにあしくせられては、この近き世界にはめぐ らひなむや。よき人の御筋といふとも、親に数まへられたて まつらず、世に知られでは何のかひかはあらむ。この人の かくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ。

さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしけめ。逃げ隠れ たまふとも、何のたけきことかはあらむ。負けじ魂に、怒り なば、せぬ事どももしてん」
と言ひおどせば、いといみじと 聞きて、中の兄なる豊後介なむ、「なほいとたいだいしくあ たらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく 構へて京に上げたてまつりてん」と言ふ。  むすめどもも泣きまどひて、 「母君のかひなくてさすらへ たまひて、行く方をだに知らぬかはりに、人並々にて見たて まつらむ、とこそ思ふに、さるものの中にまじりたまひなむ こと」と思ひ嘆くをも知らで、我はいとおぼえ高き身と思ひ て、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の 色紙かうばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひ たる、言葉ぞいとたみたりける。  みづからも、この家の二郎を語らひとりて、うち連れて来 たり。三十ばかりなる男の、丈高くものものしくふとりて、

きたなげなけれど、思ひなしうとましく、荒らかなるふるま ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いた う枯れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よ ばひとは言ひけれ、さま変へたる春の夕暮なり。秋ならねど も、あやしかりけりと見ゆ。心を破らじとて、祖母おとど出 であふ。 「故少弐のいと情び、きらきらしくものしたまひし を、いかでかあひ語らひ申さむ、と思ひたまへしかども、さ る心ざしをも見せきこえずはべりしほどに、いと悲しくて、 隠れたまひにしを。そのかはりに、一向に仕うまつるべくな む、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶ らひつる。このおはしますらむ女君、筋ことに承れば、い とかたじけなし。ただなにがしらが、私の君と思ひ申して、 頂になむ捧げたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはし げなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを、 聞こしめしうとむななり。さりとも、すやつばらを、等し

なみにはしはべりなむや。わが君をば、后の位におとしたて まつらじものをや」
など、いとよげに言ひつづく。 「いか がは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿- 世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかで か人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦し う見たまへわづらひぬる」と言ふ。 「さらにな思し憚りそ。 天下に目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつ りやめてむ。国の中の仏神は、おのれになむなびきたまへ る」など誇りゐたり。その日ばかりと言ふに、 「この月は季 のはてなり」など、田舎びたることを言ひのがる。  下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思 ひめぐらして、 「君にもしこころたがはば松浦なるかがみの神をかけ  て誓はむ この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」と、うち

笑みたるも、世づかずうひうひしや。我にもあらねば、返し すべくも思はねど、むすめどもに詠ますれど、 「まろは、 ましてものもおぼえず」とてゐたれば、いと久しきに思ひわ づらひて、うち思ひけるままに、 年を経ていのる心のたがひなばかがみの神をつらし  とや見む とわななかし出でたるを、 「まてや、こはいかに仰せらる る」と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど 色もなくなりぬ。むすめたち、さは言へど、心強く笑ひて、 「この人のさま異にものしたまふを。ひき違へはべらば、 思はれむを、なほほけほけしき人の、神かけて聞こえひがめ たまふなめりや」と解き聞かす。 「おい、然り、然り」と うなづきて、 「をかしき御口つきかな。なにかしら田舎び たりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の 人とても何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思し侮り

そ」
とて、また詠まむと思へれども、たへずやありけむ、往 ぬめり。  二郎が語らひとられたるも、いと恐ろしく心憂くて、この 豊後介をせむれば、 「いかがは仕うまつるべからむ。語 らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ 心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いさ さかの身じろきせむも、ところせくなむあるべき。なかなか なる目をや見む」と思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず 思いたるさまのいと心苦しくて、生きたらじ、と思ひ沈みた まへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて 出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを棄てて、この御- 供に出で立つ。あてきといひしは、今は兵部の君といふぞ、 添ひて夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫監は、肥後に帰り行 きて、四月二十日のほどに日取りて来むとするほどに、かく て逃ぐるなりけり。 玉鬘の一行筑紫を脱出して都に帰る

姉おもとは、類ひろくなりてえ出で立たず。 かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難 きを思ふに、年経つる古里とて、ことに見- 棄てがたきこともなし、ただ松浦の宮の前の渚と、かの姉お もとの別るるをなむ、かへりみせられて、悲しかりける。 浮島を漕ぎ離れても行く方やいづくとまりと知ら   ずもあるかな 行くさきも見えぬ波路に舟出して風にまかする身こ   そ浮きたれ いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。  かく逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂 にて追ひ来なむ、と思ふに、心もまどひて、早舟といひて、 さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危 きまで走り上りぬ。ひびきの灘もなだらかに過ぎぬ。 「海賊 の舟にやあらん、小さき舟の、飛ぶやうにて来る」など言ふ

者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追 ひ来るにや、と思ふにせむ方なし。 うきことに胸のみ騒ぐひびきにはひびきの灘もさは   らざりけり 川尻といふ所近づきぬ、と言ふにぞ、すこし生き出づる心地 する。例の、舟子ども、 「唐泊より川尻おすほどは」と、うた ふ声の情なきもあはれに聞こゆ。豊後介、あはれになつかし ううたひすさびて、 「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、 思へば、 「げにぞ、みなうち棄ててける。いかがなりぬらん。 はかばかしく身のたすけと思ふ郎等どもは、みな率て来にけ り。我をあしと思ひて追ひまどはして、いかがしなすらん」 と思ふに、心幼くもかへりみせで出でにけるかなと、すこし 心のどまりてぞ、あさましきことを思ひつづくるに、心弱く うち泣かれぬ。 「胡の地の妻児をば虚しく棄て損てつ」と誦 ずるを、兵部の君聞きて、 「げにあやしのわざや。年ごろ従

ひ来つる人の心にも、にはか に違ひて逃げ出でにしを、い かに思ふらん」
とさまざま思 ひつづけらるる。帰る方とて も、そこ所と行き着くべき古- 里もなし。知れる人と言ひ寄 るべき頼もしき人もおぼえず。 ただ一ところの御ためにより、ここらの年月住み馴れつる世- 界を離れて、浮かべる波風に漂ひて、思ひめぐらす方なし。 この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ、とあきれてお ぼゆれど、いかがはせむとて、急ぎ入りぬ。 豊後介窮迫し、石清水八幡宮に参詣する 九条に、昔知れりける人の残りたりけるを とぶらひ出でて、その宿を占めおきて、都 の内といへど、はかばかしき人の住みたる わたりにもあらず、あやしき市女商人の中にて、いぶせく世

の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先悲し きこと多かり。豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸にま どへる心地して、つれづれに、ならはぬありさまのたづきな きを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにける を思ふに、従ひ来たりし者どもも、類にふれて逃げ去り、本 の国に帰り散りぬ。  住みつくべきやうもなきを、母おとど明け暮れ嘆きいとほ しがれば、 「何か。この身はいとやすくはべり。人ひと りの御身にかへたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せ なむに咎あるまじ。我らいみじき勢になりても、若君をさる 者の中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」と語ら ひ慰めて、 「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせた てまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこ にても参り祈り申したまひし松浦、筥崎同じ社なり。かの国 を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今都に帰

りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したま へ」
とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる 人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを 呼びとりて、詣でさせたてまつる。 玉鬘長谷寺に参詣し、右近に再会する 「うち次ぎては、仏の御中には、初瀬 なむ、日本の中には、あらたなる験あらは したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。 ましてわが国の中にこそ、遠き国の境とても、年経たまへれ ば、若君をばまして恵みたまひてん」とて、出だし立てたて まつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地にい とわびしく苦しけれど、人の言ふままにものもおぼえで歩み たまふ。 「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。 わが親世に亡くなりたまへりとも、我をあはれと思さば、お はすらむ所にさそひたまへ。もし世におはせば、御顔見せた まへ」と仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、た

だ親おはせましかばとばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへ るに、かくさし当りて、身のわりなきままに、とり返しい みじくおぼえつつ、からうじて、椿市といふ所に、四日とい ふ巳の刻ばかりに、生ける心地もせで行き着きたまへり。  歩むともなく、とかくつくろひたれど、足の裏動かれずわ びしければ、せん方なくて休みたまふ。この頼もし人なる介、 弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三四人、女ば らあるかぎり三人、壼装束して、樋洗めく者、ふるき下衆女 二人ばかりとぞある。いとかすかに忍びたり。大燈明のこと など、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主の法師、 「人宿したてまつらむとする所に、なに人のものしたまふぞ。 あやしき女どもの、心にまかせて」とむつかるを、めざまし く聞くほどに、げに人々来ぬ。  これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男 女、数多かむめる。馬四つ五つ牽かせて、いみじく忍びやつ

したれど、きよげなる男どもなどあり。法師は、せめてここ に宿さまほしくして、頭掻き歩く。いとほしけれど、また宿 かへむもさまあしく、わづらはしければ、人々は奥に入り、 外に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき 隔てておはします。この来る人も恥づかしげもなし。いたう かいひそめて、かたみに心づかひしたり。さるは、かの世と ともに恋ひ泣く右近なりけり。年月にそへて、はしたなきま じらひの、つきなくなりゆく身を思ひ悩みて、この御寺にな むたびたび詣でける。  例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩 みたへがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のも とに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、 「これは御前にまゐらせたまへ。御台などうちあはで、いとか たはらいたしや」と言ふを聞くに、わが列の人にはあらじと 思ひて、物のはさまよりのぞけば、この男の顔見し心地す。

誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、ふとり黒み てやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分か ぬなりけり。 「三条、ここに召す」と、呼び寄する女を 見れば、また見し人なり。故御方に、下人なれど、久しく仕 うまつり馴れて、かの隠れたまへりし御住み処までありし者 なりけり、と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼし き人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、 「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。 姫君のおはするにや」と思ひ寄るに、いと心もとなくて、こ の中隔てなる三条を呼ばすれど、食物に心入れて、とみにも 来ぬ、いと憎し、とおぼゆるもうちつけなりや。  からうじて、 「おぼえずこそはべれ。筑紫国に二十年ば かり経にける下衆の身を知らせたまふべき京人よ。人違へに やはべらむ」とて寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、 いといたうふとりにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかし

けれど、 「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや」とて、 顔さし出でたり。この女の、手を打ちて、 「あがおもとに こそおはしましけれ。あなうれしともうれし。いづくより参 りたまひたるぞ。上はおはしますや」と、いとおどろおどろ しく泣く。若き者にて見馴れし世を思ひ出づるに、隔て来に ける年月数へられて、いとあはれなり。 「まづおとどはお はすや。若君はいかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」 とて、君の御ことは言ひ出でず。 「みなおはします。姫君 も大人になりておはします。まづおとどに、かくなむ、と聞 こえむ」とて入りぬ。  みなおどろきて、 「夢の心地もするかな。いとつらく言は む方なく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」とて、こ の隔てに寄り来たり。け遠く隔てつる屏風だつもの、なごり なく押し開けて、まづ言ひやるべき方なく泣きかはす。老人 は、ただ、「わが君はいかがなりたまひにし。ここらの年ご

ろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遙 かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、 いみじく悲しと思ふに、老の身の残りとどまりたるもいと心- 憂けれど、うち棄てたてまつりたまへる若君の、らうたくあ はれにておはしますを、冥途の絆にもてわづらひきこえてな む、瞬きはべる」
と言ひつづくれば、昔、そのをり、言ふか ひなかりしことよりも、答へむ方なくわづらはしと思へども、 「いでや、聞こえてもかひなし。御方は早う亡せたまひに き」と言ふままに、二三人ながら咽せかへり、いとむつかし く、せきかねたり。  日暮れぬと急ぎたちて、御燈明の事どもしたためはてて急 がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。 「もろ ともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべけれ ば、この介にも事のさまだに言ひ知らせあへず、我も人もこ とに恥づかしくもあらで、みな下り立ちぬ。右近は、人知れ

ず目とどめて見るに、中にうつくしげなる後手の、いといた うやつれて、四月の単衣めくものに着こめたまへる髪のすき かげ、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しうかなしと見た てまつる。 右近、三条御堂で玉鬘の将来を祈願する すこし足馴れたる人は、疾く御堂に着きに けり。この君をもてわづらひきこえつつ、 初夜行ふほどにぞ上りたまへる。いと騒が しく、人詣でこみてののしる。右近が局は、仏の右の方に近 き間にしたり。この御師は、まだ深からねばにや、西の間に 遠かりけるを、 「なほここにおはしませ」と、尋ねかはし 言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあは せて、こなたに移したてまつる。 「かくあやしき身なれど、 ただ今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道に ても、らうがはしきことははべらじ、と頼みはべる。田舎び たる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、侮らは

しうするも、かたじけなきことなり」
とて、物語いとせまほ しけれど、おどろおどろしき行ひの紛れ、騒がしきにもよほ されて、仏拝みたてまつる。右近は心の中に、 「この人をい かで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつかくて見た てまつれば、今は思ひのごと。大臣の君の、尋ねたてまつら むの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせ たてまつりたまへ」など申しけり。  国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国守の北の方も 詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条 が言ふやう、 「大悲者には、他事も申さじ。あが姫君、大弐 の北の方ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。 三条らも、随分にさかえて返申は仕うまつらむ」と、額に手 を当てて念じ入りてをり。右近、いとゆゆしくも言ふかな、 と聞きて、 「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、 昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は天の下

を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲 に、御方しも、受領の妻にて品定まりておはしまさむよ」
と 言へば、 「あなかま、たまへ。大臣たちもしばし待て。大- 弐の御館の上の、清水の御寺観世音寺に参りたまひし勢は、 帝の行幸にやは劣れる。あなむくつけ」とて、なほさらに手 をひき放たず拝み入りてをり。  筑紫人は、三日籠らむと心ざしたまへり。右近は、さしも思 はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠る べきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへ など、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のこと にて、 「例の藤原の瑠璃君といふが御ために奉る。よく祈 り申したまへ。その人、このごろなむ見たてまつり出でたる。 その願も果たしたてまつるべし」と言ふを、聞くもあはれな り。法師、 「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しは べる験にこそはべれ」と言ふ。いと騒がしう夜一夜行ふなり。 翌日、右近と乳母、玉鬘の将来を相談する

明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。物- 語心やすく、となるべし。姫君の、いたく やつれたまへる恥づかしげに思したるさま、 いとめでたく見ゆ。 「おぼえぬ高きまじらひをして、多く の人をなむ見あつむれど、殿の上の御容貌に似る人おはせじ となむ、年ごろ見たてまつるを、また生ひ出でたまふ姫君の 御さま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたて まつりたまふさまも、並びなかめるに、かうやつれたまへる さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、あり難うなむ。大臣 の君、父帝の御時より、そこらの女御后、それより下は残る なく見たてまつりあつめたまへる御目にも、当代の御母后 と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『よき人とはこ れをいふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。見たてま つり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよら におはしませど、まだ片なりにて、生ひ先ぞ推しはかられ

たまふ。上の御容貌は、なほ誰か、並びたまはむとなむ、見 たまふ。殿もすぐれたりと思しためるを、言に出でては、何 かは数への中には聞こえたまはむ。『我に並びたまへるこそ、 君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。見たてまつ るに、命延ぶる御ありさまどもを、またさるたぐひおはしま しなむや、となむ思ひはべるに、いづくか劣りたまはむ。も のは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、頂を放れた る光やはおはする。ただこれを、すぐれたりとは聞こゆべき なめりかし」
と、うち笑みて見たてまつれば、老人もうれし と思ふ。 「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めた てまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家竈をも棄て、 男女の頼むべき子どもにもひき別れてなむ、かへりて知ら ぬ世の心地する京に参うで来し。あがおもと、はやく、よき さまに導ききこえたまへ。高き宮仕したまふ人は、おのづか ら行きまじりたるたよりものしたまふらむ。父大臣に聞こし

めされ、数まへられたまふべきたばかり思し構へよ」
と言 ふ。恥づかしう思いて、背後向きたまへり。 「いでや、身 こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、もののを りごとに、『いかにならせたまひにけん』と聞こえ出づるを、 聞こしめしおきて、『我いかで尋ねきこえむと思ふを、聞き 出でたてまつりたらば』となむのたまはする」と言へば、 「大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとな き妻どもおはしますなり。まづ実の親とおはする大臣にを知 らせたてまつりたまへ」など言ふに、ありしさまなど語り出 でて、 「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、『かの 御かはりに見たてまつらむ、子も少なきがさうざうしきに、 わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、その昔よりの たまふなり。心の幼かりけることは、よろづにものつつまし かりしほどにて、え尋ねてもきこえで過ごししほどに、少弐 になりたまへるよしは、御名にて知りにき。罷申に、殿に参

りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえでや みにき。さりとも姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとど めたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あないみじや。田舎人 にておはしまさましよ」
など、うち語らひつつ、日一日、昔- 物語、念誦などしつつ。 右近と玉鬘歌を詠み交し、帰京する 参り集ふ人のありさまども、見下さるる方 なり。前より行く水をば、初瀬川といふな りけり。右近、  「ふたもとの杉のたちどをたづねずはふる川のべに君を   みましや うれしき瀬にも」と聞こゆ。 「初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身   さへながれぬ とうち泣きておはするさま、いとめやすし。 「容貌はいと かくめでたくきよげながら、田舎びこちごちしうおはせまし

かば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生 ひ出でたまひけむ」
と、おとどをうれしく思ふ。母君は、た だいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞたをやぎたまへ りし、これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめき たまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、みな見し人は里びに たるに、心得がたくなむ。暮るれば御堂に上りて、またの日 も行ひ暮らしたまふ。  秋風、谷より遙かに吹き上りて、いと肌寒きに、ものいと あはれなる心どもには、よろづ思ひつづけられて、人並々な らむこともあり難きこと、と思ひ沈みつるを、この人の物語 のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき 御子ども、みなものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる 下草頼もしくぞ思しなりぬる。  出づとても、かたみに宿る所も問ひかはして、もしまた追 ひまどはしたらむ時と、あやふく思ひけり。右近が家は、六-

条院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひかはすもた づき出で来ぬる心地しけり。 右近、源氏に玉鬘との邂逅を報告する 右近は大殿に参りぬ。このことをかすめ聞 こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。御- 門引き入るるより、けはひことに広々とし て、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、 まばゆき心地する玉の台なり。その夜は御前にも参らで、思 ひ臥したり。  またの日、昨夜里より参れる上臈若人どもの中に、とり分 きて右近を召し出づれば、面だたしくおぼゆ。大臣も御覧じ て、 「などか里居は久しくしつるぞ。例ならずや。まめ人 の、ひきたがへ、こまがへるやうもありかし。をかしきこと などありつらむかし」など、例のむつかしう戯れ言などのた まふ。 「まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしき事 ははべりがたくなむ。山踏しはべりて、あはれなる人をなむ

見たまへつけたりし」
「なに人ぞ」と問ひたまふ。「ふと 聞こえ出でんも、まだ上に聞かせたてまつらで、とり分き申 したらんを、後に聞きたまうてば、隔てきこえけりとや思さ む」など思ひ乱れて、 「いま聞こえさせはべらむ」とて、 人々参れば聞こえさしつ。  大殿油なとまゐりて、うちとけ並びおはします御ありさま ども、いと見るかひ多かり。女君は二十七八にはなりたまひ ぬらんかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほ ど経て見たてまつるは、またこのほどにこそにほひ加はりた まひにけれ、と見えたまふ。かの人をいとめでたし、劣らじ と見たてまつりしかど、思ひなしにや、なほこよなきに、幸 ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかなと、見あはせら る。大殿籠るとて、右近を御脚まゐりに召す。 「若き人は、 苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心かはして 睦びよかりけれ」とのたまへば、人々忍びて笑ふ。 「さり

や、誰かその使ひならいたまはむをばむつからん。うるさき 戯れ言いひかかりたまふを、わづらはしきに」
など言ひあへ り。 「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎば、はたむつかり たまはんとや。さるまじき御心と見ねば、あやふし」など、 右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ 添ひたまへり。今は朝廷に仕へ、いそがしき御ありさまにも あらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただは かなき御戯れ言をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあま りに、かかる古人をさへぞ戯れたまふ。 「かの尋ね出でた りけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たる か」と問ひたまへば、 「あな見苦しや。はかなく消えたま ひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」と 聞こゆ。 「げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづ くにか」とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、 「あやしき山里になむ。昔人もかたへは変らではべりけれ

ば、その世の物語し出ではべりて、たへがたく思ひたまへり し」
など聞こえゐたり。 「よし、心知りたまはぬ御あたり に」と、隠しきこえたまへば、上、 「あなわづらはし。ねぶ たきに、聞き入るべくもあらぬものを」とて、御袖して御耳 塞ぎたまひつ。 「容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」 などのたまへば、 「必ずさしもいかでかものしたまはんと 思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひし か」と聞こゆれば、 「をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。 この君と」とのたまへば、 「いかでか、さまで は」と聞こゆれば、 「したり顔にこそ思ふべ けれ。我に似たらばしも、 うしろやすしかし」と、 親めきてのたまふ。 源氏、玉鬘に消息を贈る 玉鬘、歌を返す

かく聞きそめて後は、召し放ちつつ、 「さらば、かの人、このわたりに渡いたて まつらん。年ごろもののついでごとに、口- 惜しうまどはしつる事を思ひ出でつるに、いとうれしく聞き 出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。 父大臣には何か知られん。いとあまたもて騒がるめるが、数 ならで、今はじめ立ちまじりたらんが、なかなかなることこ そあらめ。我はかうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出 だしたるとも言はんかし。すき者どもの心尽くさするくさは ひにて、いといたうもてなさむ」など語らひたまへば、かつ がついとうれしく思ひつつ、 「ただ御心になむ。大臣に知 らせたてまつらむとも、誰かは伝へほのめかしたまはむ。い たづらに過ぎものしたまひしかはりには、ともかくもひき助 けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」と聞こゆ。 「いたうもかこちなすかな」とほほ笑みながら、涙ぐみた

まへり。 「あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ 思ひわたる。かくて集へる方々の中に、かのをりの心ざしば かり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わか心長さをも 見はべるたぐひ多かめる中に、言ふかひなくて、右近ばかり を形見に見るは、口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、さて ものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」とて、 御消息奉れたまふ。かの末摘花の言ふかひなかりしを思し出 づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさま、うし ろめたくて、まづ文のけしきゆかしく思さるるなりけり。も のまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、 「かく 聞こゆるを、   知らずとも尋ねてしらむ三島江に生ふる三稜のすぢは絶   えじを」 となむありける。御文、みづからまかでて、のたまふさまな ど聞こゆ。御装束、人々の料などさまざまあり。上にも語ら

ひ聞こえたまへるなるべし。御匣殿などにも、設けの物召し 集めて、色あひ、しざまなどことなるを、と選らせたまへれば、 田舎びたる目どもには、ましてめづらしきまでなむ思ひける。  正身は、 「ただかごとばかりにても、実の親の御けはひなら ばこそうれしからめ、いかでか知らぬ人の御あたりにはまじ らはむ」とおもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさま を、右近聞こえ知らせ、人々も、 「おのづから、さて人だち たまひなば、大臣の君も尋ね知り聞こえたまひなむ。親子の 御契りは、絶えてやまぬものなり。右近が、数にもはべらず、 いかでか御覧じつけられむ、と思ひたまへしだに、仏神の御- 導きはべらざりけりや。まして、誰も誰もたひらかにだにお はしまさば」と、みな聞こえ慰む。まづ御返りをと、せめて 書かせたてまつる。いとこよなく田舎びたらむものを、と恥 づかしく思いたり。唐の紙のいとかうばしきを取り出でて、 書かせたてまつる。

数ならぬみくりやなにのすぢなればうきにしもかく   根をとどめけむ とのみほのかなり。手は、はかなだちて、よろぼはしけれど、 あてはかにて口惜しからねば、御心おちゐにけり。 玉鬘の居所を定め、紫の上に昔の事を語る 住みたまふべき御方御覧ずるに、 「南の町 には、いたづらなる対どもなどもなし。 勢ことに住みみちたまへれば、顕証に人 しげくもあるべし。中宮のおはします町は、かやうの人も住 みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふ人の列にや聞きな されむ」と思して、 「すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、 文殿にてあるを、他方へ移して」と思す。 「あひ住みにも、 忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひても ありなむ」と思しおきつ。  上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひ ける。かく御心に籠めたまふことありけるを、怨みきこえた

まふ。 「わりなしや。世にある人の上とてや、問はず語りは 聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことに 思ひきこゆれ」とて、いとあはれげに思し出でたり。 「人 の上にてもあまた見しに、いと思はぬ仲も、女といふものの 心深きをあまた見聞きしかば、さらにすきずきしき心はつか はじ、となむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見 し中に、あはれとひたぶるにらうたき方は、またたぐひなく なむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、北の町にものする 人の列には、などか見ざらまし。人のありさま、とりどりに なむありける。かどかどしう、をかしき筋などは後れたりし かども、あてはかにらうたくもありしかな」などのたまふ。 「さりとも明石の列には、立ち並べたまはざらまし」との たまふ。なほ北の殿をば、めざまし、と心おきたまへり。姫- 君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らう たければ、また、ことわりぞかしと思し返さる。 玉鬘六条院に移り、花散里後見を受け持つ

かくいふは、九月の事なりけり。渡りたま はむこと、すがすがしくもいかでかはあら む。よろしき童若人など求めさす。筑紫に ては、口惜しからぬ人々も、京より散りぼひ来たるなどを、 たよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせしも、にはかに まどひ出でたまひし騒ぎに、みな後らしてければ、また人も なし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、 いとよく求めつつ率て来。その人の御子などは知らせざり けり。  右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人々選 りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。 大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ。 「あはれ と思ひし人の、もの倦じしてはかなき山里に隠れゐにけるを、 幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、 え聞き出ででなむ、女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬ方

よりなむ聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」
とて、 「母も亡くなりにけり。中将を聞こえつけたるに、あ しくやはある。同じごとうしろみたまへ。山がつめきて生ひ 出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく事にふれて教 へたまへ」と、いとこまやかに聞こえたまふ。 「げに、 かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一 ところものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」と、 おいらかにのたまふ。 「かの親なりし人は、心なむあり難 きまでよかりし。御心もうしろやすく思ひきこゆれば」など のたまふ。 「つきづきしくうしろむ人なども、事多から で、つれづれにはべるを、うれしかるべきことになむ」との たまふ。殿の内の人は、御むすめとも知らで、 「なに人、ま た尋ね出でたまへるならむ。むつかしき古物あつかひかな」 と言ひけり。御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あ れば、田舎びずしたてたり。殿よりぞ、綾何くれと奉れたま

へる。 源氏、玉鬘を訪れ、そのめやすさを喜ぶ その夜、やがて、大臣の君渡りたまへり。 昔、光る源氏などいふ御名は聞きわたりた てまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、 さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳 の綻びより、はつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞ おぼゆるや。渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、 「こ の戸口に入るべき人は、心ことにこそ」と笑ひたまひて、廂 なる御座についゐた まひて、 「灯こそ いと懸想びたる心地 すれ。親の顔はゆか しきものとこそ聞け、 さも思さぬか」とて、 几帳すこし押しやり

たまふ。わりなく恥づかしければ、側みておはする様体など、 いとめやすく見ゆれば、うれしくて、 「いますこし光見せ むや。あまり心にくし」とのたまへば、右近かかげてすこ し寄す。 「面なの人や」とすこし笑ひたまふ。げにとお ぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも他人と隔てあ るさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、 「年ご ろ御行く方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かう て見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のこ とども取り添へ、忍びがたきに、えなむ、聞こえられざりけ る」とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でら る。御年のほど数へたまひて、 「親子の仲の、かく年経た るたぐひあらじものを、契りつらくもありけるかな。今は、 ものうひうひしく若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ご ろの御物語なども、聞こえまほしきに、などかおぼつかなく は」と恨みたまふに、聞こえむこともなく恥づかしければ、

「脚立たず沈みそめはべりにける後、何ごともあるかなき かになむ」と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよく おぼえて若びたりける。ほほ笑みて、 「沈みたまへりける を。あはれとも、今はまた誰かは」とて、心ばへ言ふかひな くはあらぬ御答へと思す。右近に、あるべきことのたまはせ て、渡りたまひぬ。  めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りき こえたまふ。 「さる山がつの中に年経たれば、いかにいと ほしげならんと侮りしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見 ゆる。かかるものありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮 などの、この籬の内好ましうしたまふ心乱りにしがな。すき 者どもの、いとうるはしだちてのみこのわたりに見ゆるも、 かかるもののくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてし がな。なほうちあはぬ人の気色見あつめむ」とのたまへば、 「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思

すよ。けしからず」
とのたまふ。 「まことに君をこそ、今 の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。い と無心にしなしてしわざぞかし」とて、笑ひたまふに、面赤 みておはする、いと若くをかしげなり。硯ひき寄せたまうて、 手習に、 「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを  尋ね来つらむ あはれ」とやがて独りごちたまへば、げに深く思しける人の なごりなめり、と見たまふ。 夕霧、玉鬘に挨拶 豊後介家司となる 中将の君にも、 「かかる人を尋ね出でた るを、用意して睦びとぶらへ」とのたまひ ければ、こなたに参うでたまひて、 「人 数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむ はべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけるこ と」と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたき

まで、心知れる人は思ふ。心の限り尽くしたりし御住まひな りしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひ くらべらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高く て、親兄弟と睦びきこえたまふ御さま容貌よりはじめ、目も あやにおぼゆるに、今ぞ三条も、大弐を侮らはしく思ひける。 まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限り なし。豊後介の心ばへを、あり難きものに君も思し知り、右- 近も思ひ言ふ。おほぞうなるは事も怠りぬべしとて、こなた の家司ども定め、あるべきことども、おきてさせたまふ。豊- 後介もなりぬ。年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかにな ごりもなく、いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがな くおぼえし大殿の内を、朝夕に出で入りならし、人を従へ、 事行ふ身となれるは、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の 御心おきてのこまかにあり難うおはしますこと、いとかたじ けなし。 源氏、正月の衣装を調えて方々に贈る

年の暮に御しつらひのこと、人々の御装- 束など、やむごとなき御列に思しおきてた る、かかりとも田舎びたることやと、山が つの方に侮り推しはかりきこえたまひて調じたるも、奉りた まふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつ つ持て参れる、細長小袿の、いろいろさまざまなるを御覧ず るに、 「いと多かりける物どもかな。方々に、うらやみな くこそものすべかりけれ」と、上に聞こえたまへば、御匣殿 に仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、みな取う出 させたまへり。かかる筋、はた、いとすぐれて、世になき色あ ひにほひを染めつけたまへば、あり難しと思ひきこえたまふ。 ここかしこの擣殿より参らせたる擣物ども御覧じくらべて、 濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃衣箱ど もに入れさせたまうて、大人びたる上臈どもさぶらひて、こ れはかれはと取り具しつつ入る。上も見たまひて、 「い

づれも、劣りまさるけぢめも見えぬ物どもなめるを、着た まはん人の御容貌に、思ひよそへつつ奉れたまへかし。着た る物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」
とのたまへ ば、大臣うち笑ひて、 「つれなくて、人の御容貌推しはか らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」と聞こえ たまへば、 「それも鏡にてはいかでか」と、さすがに恥 ぢらひておはす。紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今- 様色のいとすぐれたるとはかの御料、桜の細長に、艶やかな る掻練とり添へては姫君の御料なり。浅縹の海賦の織物、織 りざまなまめきたれど、にほひやかならぬに、いと濃き掻練- 具して夏の御方に、雲りなく赤きに、山吹の花の細長は、か の西の対に奉れたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。内- 大臣の、華やかに、あなきよげとは見えながら、なまめかし う見えたる方のまじらぬに、似たるなめりと、げに推しはか らるるを、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、

ただならず。 「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべ きことなり。よきとても物の色は限りあり、人の容貌は、後 れたるも、また、なほ底ひあるものを」とて、かの末摘花の 御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとな まめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。梅の折枝、蝶鳥、 飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きが艶やかなる重ね て、明石の御方に、思ひやり気高きを、上はめざましと見た まふ。空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけ たまひて、御料にある梔子の御衣、聴色なる添へたまひて、 同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに似つ いたる見むの御心なりけり。 末摘花の返歌を見て、源氏和歌を論ずる みな、御返りどもただならず、御使の禄心- 心なるに、末摘、東の院におはすれば、い ますこしさし離れ、艶なるべきを、うるは しくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、

山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうちかけ たまへり。御文には、いとかうばしき陸奥国紙の、すこし年 経、厚きが黄ばみたるに、 「いでや、賜へるは、なかな かにこそ。  きてみればうらみられけり唐衣かへしやりてん袖をぬら   して」 御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひ て、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見お こせたまへり。御使にかづけたるものを、いとわびしくかた はらいたしと思して、御気色あしければ、すべりまかでぬ。い みじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古 めかしう、かたはらいたきところのつきたまへる、さかしら に、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。 「古- 代の歌詠みは、唐衣、袂濡るるかごとこそ離れねな。まろも その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉

にゆるぎたまはぬこそ、妬きことははたあれ。人の中なるこ とを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みの中にては、 円居離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしきいどみには、 あだ人、といふ五文字をやすめ所にうち置きて、言の葉のつ づき、たよりある心地すべかめり」
など笑ひたまふ。 「よ ろづの草子歌枕、よく案内知り見つくして、その中の言葉を 取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変らざるべけれ。 常陸の親王の書きおきたまへりける紙屋紙の草子をこそ、見 よとておこせたりしか、和歌の髄脳いとところせう、病避る べきところ多かりしかば、もとより後れたる方の、いとどな かなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。 よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあ れ」とて、をかしく思いたるさまぞいとほしきや。上、いと まめやかにて、 「などて返したまひけむ。書きとどめて、 姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、

物の中なりしも、虫みな損ひてければ。見ぬ人、はた、心こ とにこそは遠かりけれ」
とのたまふ。 「姫君の御学問に、 いと用なからん。すべて女は、たてて好めること設けてしみ ぬるは、さまよからぬことなり。何ごともいとつきなから むは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめ おきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」 などのたまひて、返り事は思しもかけねば、 「返しやり てむとあめるに、これより押し返したまはざらむも、ひがひ がしからむ」とそそのかしきこえたまふ。情棄てぬ御心にて 書きたまふ。いと心やすげなり。 「かへさむといふにつけてもかたしきの夜の衣を思ひ   こそやれ ことわりなりや」とぞあめる。
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