源氏物語

故院追善の御八講と源氏の政界復帰

Channel Buoys

さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の 御ことを心にかけきこえたまひて、いかで かの沈みたまふらん罪救ひたてまつる事を せむ、と思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそ ぎしたまふ。神無月御八講したまふ。世の人なびき仕うまつ ること、昔のやうなり。  大后御悩み重くおはしますうちにも、つひにこの人をえ 消たずなりなむこと、と心病み思しけれど、帝は、院の御遺- 言を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、 なほし立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこ り悩ませたまひし御目もさわやぎたまひぬれど、おほかた世 にえ長くあるまじう、心細きこととのみ、久しからぬことを

思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中 のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれ ば、おほかたの世の人もあいなくうれしきことによろこびき こえける。 朱雀帝の尚侍への執着と尚侍の悔恨 おりゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、 尚侍心細げに世を思ひ嘆きたまへる、い とあはれに思されけり。 「大臣亡せたま ひ、大宮も頼もしげなくのみ篤いたまへるに、わが世残り少 なき心地するになむ、いといとほしう、なごりなきさまにて とまりたまはむとすらむ。昔より人には思ひおとしたまへれ ど、みづからの心ざしのまたなきならひに、ただ御ことのみ なむあはれにおぼえける。たちまさる人また御本意ありて見 たまふとも、おろかならぬ心ざしはしもなずらはざらむと思 ふさへこそ心苦しけれ」とて、うち泣きたまふ。女君、顔は いとあかくにほひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼ

れぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜら る。 「などか御子をだに持たまへるまじき。口惜しうもある かな。契り深き人のためには、いま見出でたまひてむと思ふ も口惜しや。限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし」な ど、行く末のことをさへのたまはするに、いと恥づかしうも 悲しうもおぼえたまふ。御容貌などなまめかしうきよらにて、 限りなき御心ざしの年月にそふやうにもてなさせたまふに、 めでたき人なれど、さしも思ひたまへらざりし気色心ばへな どもの思ひ知られたまふままに、などてわか心の若くいはけ なきにまかせて、さる騒ぎをさへひき出でて、わか名をばさ らにもいはず、人の御ためさへなど思し出づるに、いとうき 御身なり。 冷泉帝即位し、源氏内大臣となる あくる年の二月に、春宮の御元服のことあ り。十一になりたまへど、ほどより大きに 大人しうきよらにて、ただ源氏の大納言の

御顔を二つにうつしたらむやうに見えたまふ。いとまばゆき まで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、 母宮、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽く したまふ。内裏にもめでたしと見たてまつりたまひて、世の 中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせ たまふ。  同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后 思しあわてたり。 「かひなきさまながらも、心のどかに 御覧ぜらるべきことを思ふなり」とぞ、聞こえ慰めたまひけ る。坊には承香殿の皇子ゐたまひぬ。世の中改まりて、ひき かへ今めかしき事ども多かり。源氏の大納言、内大臣になり たまひぬ。数定まりて、くつろぐ所もなかりければ、加はり たまふなりけり。  やがて世の政をしたまふべきなれど、 「さやうの事し げき職にはたへずなむ」とて、致仕の大臣、摂政したまふべ

きよし譲りきこえたまふ。  「病によりて、位を返した てまつりてしを、いよいよ老のつもり添ひて、さかしきこと はべらじ」と、承け引き申したまはず。他の国にも、事移り  世の中定まらぬをりは深き山に跡を絶えたる人だにも、をさ まれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことの 聖にはしけれ、病に沈みて返し申したまひける位を、世の中 かはりてまた改めたまはむに、さらに咎あるまじう、公私 定めらる。さる例もありければ、すまひはてたまはで、太政- 大臣になりたまふ。御年も六十三にぞなりたまふ。 世の中すさまじきにより、かつは籠りゐたまひしを、とり 返しはなやぎたまへば、御子どもなど、沈むやうにものした まへるを、みな浮かびたまふ。とりわきて宰相中将、権中納- 言になりたまふ。かの四の君の御腹の姫君十二になりたまふ を、内裏に参らせむとかしづきたまふ。かの高砂うたひし君 も、かうぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹々に御子ども

いとあまた次々に生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏 の大臣はうらやみたまふ。  大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、内裏春宮の殿- 上したまふ。故姫君の亡せたまひにし嘆きを宮大臣またさら にあらためて思し嘆く。されどおはせぬなごりも、ただこの 大臣の御光に、よろづもてなされたまひて、年ごろ思し沈み つるなごりなきまで栄えたまふ。なほ昔に御心ばへ変らず、 をりふしごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御乳母たち、 さらぬ人々も、年ごろのほどまかで散らざりけるは、みなさ るべき事にふれつつ、よすがつけむことを思しおきつるに、 幸ひ人多くなりぬべし。  二条院にも同じごと待ちきこえける人を、あはれなるもの に思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、中将中務やう の人々には、ほどほどにつけつつ情を見えたまふに、御暇な くて、外歩きもしたまはず。二条院の東なる宮、院の御処分

なりしを、二なく改め造らせたまふ。花散里などやうの心苦 しき人々住ませむなど、思しあててつくろはせたまふ。 かねての予言どおり、明石の君に女子誕生 まことや、かの明石に心苦しげなりしこと はいかに、と思し忘るる時なければ、公- 私いそがしき紛れに、え思すままにもと ぶらひたまはざりけるを、三月朔日のほど、このころやと思 しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参 りて、 「十六日になむ。女にてたひらかにものしたまふ」と 告げきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろ かならず。などて、京に迎へてかかる事をもせさせざりけむ、 と口惜しう思さる。  宿曜に「御子三人、帝、后必ず並びて生まれたまふべし。 中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」、勘へ申したり しこと、さしてかなふなめり。おほかた上なき位にのぼり、 世をまつりごちたまふべきこと、さばかり賢かりしあまたの

相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさに みな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬること を、思ひのごとうれしと思す。みづからも、もて離れたまへ る筋は、さらにあるまじきこと、と思す。 「あまたの皇子た ちの中に、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人 に思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。内裏のか くておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の 言空しからず」と御心の中に思しけり。いま行く末のあらま しごとを思すに、 「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世 になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつ かふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人 の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけ なくもあるべきかな。このほど過ぐして迎へてん」と思して、 東の院急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。 源氏、明石の姫君のために乳母を選ぶ

さる所にはかばかしき人しもあり難からむ を思して、故院にさぶらひし宣旨のむすめ、 宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なり しを、母なども亡せて、かすかなる世に経けるが、はかなき さまにて子産みたり、と聞こしめしつけたるを、知るたより ありて事のついでにまねびきこえける人召して、さるべきさ まにのたまひ契る。まだ若く、何心もなき人にて、明け暮れ 人知れぬあばら家にながむる心細さなれば、深うも思ひたど らず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、 参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、出だ し立てたまふ。  もののついでに、いみじう忍び紛れておはしまいたり。 さは聞こえながら、いかにせまし、と思ひ乱れけるを、いと かたじけなきによろづ思ひ慰めて、 「ただのたまはせ むままに」と聞こゆ。よろしき日なりければ、急がし立てた

まひて、 「あやしう思ひやりなきやう なれど、思ふさまことなる事にてなむ。 みづからもおぼえぬ住まひにむすぼほれ たりし例を思ひよそへて、しばし念じた まへ」など、事のありやうくはしう語ら ひたまふ。上の宮仕時々せしかば、見 たまふをりもありしを、 「いたう衰へに けり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすかに大きな る所の、木立などうとましげに、いかで過ぐしつらむ」と見 ゆ。人のさま若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。とか く戯れたまひて、 「取り返しつべき心地こそすれ。いかに」 とのたまふにつけても、げに同じうは御身近うも仕うまつり 馴ればうき身も慰みなまし、と見たてまつる。 「かねてより隔てぬなかとならはねど別れはをしきも のにぞありける。

慕ひやしなまし」とのたまへば、うち笑ひて、
うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕 ひやはせぬ 馴れて聞こゆるを、いたしと思す。 乳母明石に到着 明石の人々よろこぶ 車にてぞ京のほどは行き離れける。いと親 しき人さし添へたまひて、ゆめに漏らすま じく、口がためたまひて遣はす。御佩刀、 さるべき物など、ところせきまで思しやらぬ隈なし。乳母に も、あり難うこまやかなる御いたはりのほど浅からず。入道 の思ひかしづき思ふらむありさま、思ひやるもほほ笑まれた まふこと多く、またあはれに心苦しうもただこの事の御心に かかるも、浅からぬにこそは。御文にも、おろかにもてなし 思ふまじと、かへすがへすいましめたまへり。 いつしかも袖うちかけむをとめ子が世をへてなづる 岩のおひさき

津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて急ぎ行き着 きぬ。  入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること限りなし。そ なたに向きて拝みきこえて、あり難き御心ばへを思ふに、い よいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。児のいとゆゆしきま でうつくしうおはすることたぐひなし。げに、賢き御心にか しづききこえむと思したるは、むべなりけり、と見たてま つるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさ めにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、あつかひき こゆ。  子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れ る心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきて の、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、御使にも 二なきさまの心ざしを尽くす。「とく参りなむ」と急ぎ苦し がれば、思ふことどもすこし聞こえつづけて、

ひとりしてなづるは袖のほどなきに覆ふばかりのか げをしぞまつ と聞こえたり。あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。 源氏、明石の君のことを紫の上に語る 女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえ たまはぬを、聞きあはせたまふこともこそ と思して、 「さこそあなれ。あやしうね ぢけたるわざなりや。さもおはせなむと思ふあたりには心も となくて、思ひの外に口惜しくなん。女にてあなれば、いと こそものしけれ。尋ね知らでもありぬべき事なれど、さはえ 思ひ棄つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつ らむ。憎みたまふなよ」と聞こえたまへば、面うち赤みて、 「あやしう、常にかやうなる筋のたまひつくる心のほど こそ、我ながらうとましけれ。もの憎みはいつならふべきに か」と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、 「そよ、誰が ならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より

外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば 悲し」
とて、はてはては涙ぐみたまふ。年ごろ飽かず恋しと 思ひきこえたまひし御心の中ども、をりをりの御文の通ひな ど思し出づるには、よろづの事すさびにこそあれと、思ひ消 たれたまふ。 「この人をかうまで思ひやり言とふは、なほ思ふやうの はべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」 とのたまひさして、 「人柄のをかしかりしも、所がらに や、めづらしうおぼえきかし」など語りきこえたまふ。あは れなりし夕の煙、言ひしことなど、まほならねどその夜の 容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とま れるさまにのたまひ出づるにも、我はまたなくこそ悲しと思 ひ嘆きしか、すさびにても心を分けたまひけむよ、とただ ならず思ひつづけたまひて、我は我と、うち背きながめて、 「あはれなりし世のありさまかな」と、独り言のやうに

うち嘆きて、 思ふどちなびく方にはあらずともわれぞけぶりに さきだちなまし 「何とか。心憂や。 誰により世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙にうきしづ む身ぞ いでや、いかでか見えたてまつらむ。命こそかなひ難かべい ものなめれ。はかなき事にて人に心おかれじと思ふも、ただ ひとつゆゑぞや」とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合はせす さびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かのすぐれたり けむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかに、う つくしうたをやぎたまへるものから、さすがに執念きところ つきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ち なしたまふを、をかしう見どころありと思す。 源氏、姫君の五十日の祝いの使いを遣わす

五月五日にぞ、五十日にはあたるらむと、 人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに 思しやる。 「何ごとも、いかにかひあるさ まにもてなし。うれしからまし。口惜しのわざや。さる所に しも、心苦しきさまにて出で来たるよ」と思す。男君ならま しかばかうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなうい とほしう、わが御宿世も、この御事につけてぞかたほなりけ り、と思さるる。御使出だし立てたまふ。 「必ずその日違 へずまかり着け」とのたまへば、五日に行き着きぬ。思しや ることも、あり難うめでたきさまにて、まめまめしき御とぶ らひもあり。 「海松や時ぞともなきかげにゐて何のあやめもいかに わくらむ 心のあくがるるまでなむ。なほかくてはえ過ぐすまじきを、 思ひ立ちたまひね。さりともうしろめたきことは、よも」

書いたまへり。入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかるを りは、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。  ここにも、よろづところせきまで思ひ設けたりけれど、こ の御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、 この女君のあはれに思ふやうなるを語らひ人にて、世の慰め にしけり。をさをさ劣らぬ人も、類にふれて迎へ取りてあ らすれど、こよなく衰へたる宮仕人などの、巌の中尋ぬるが 落ちとまれるなどこそあれ、これはこよなうこめき思ひあが れり。聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御あり さま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地に まかせて限りなく語り尽くせば、げにかく思し出づばかりの なごりとどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。 御文ももろともに見て、心の中に、 「あはれ、かうこそ思ひ の外にめでたき宿世はありけれ。うきものはわが身こそあり けれ」と思ひつづけらるれど、 「乳母のことはいかに」など、

こまかにとぶらはせたまへるもかたじけなく、何ごとも慰め けり。  御返りには、 「数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を今日もいかにととふ 人ぞなき よろづに思うたまへむすぼほるるありさまを、かくたまさか の御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げにうし ろやすく思うたまへおくわざもがな」と、まめやかに聞こえ たり。  うち返し見たまひつつ、 「あはれ」と長やかに独りごち たまふを、女君、後目に見おこせて、 「浦よりをちに漕 ぐ舟の」と、忍びやかに独りごちながめたまふを、 「まこ とはかくまでとりなしたまふよ。こはただかばかりのあはれ ぞや。所のさまなどうち思ひやる時々、来し方のこと忘れが たき独り言を、ようこそ聞きすぐいたまはね」など、恨みき

こえたまひて、上包ばかりを見せたてまつらせたまふ。手な どのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦しげなるを、かかれ ばなめりと思す。 源氏、花散里を訪れる 五節、尚侍を思う かくこの御心とりたまふほどに、花散里を 離れはてたまひぬるこそいとほしけれ。 公事もしげく、ところせき御身に、思し 憚るにそへても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、 思ひしづめたまふなめり。  五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思しお こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけてよろ づに思しやりとぶらひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたま ふ所なれば、今めかしう心にくきさまにそばみ恨みたまふべ きならねば、心やすげなり。年ごろにいよいよ荒れまさり、 すごげにておはす。女御の君に御物語聞こえたまひて、西の 妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、

いとど艶なる御ふるまひ尽きもせず見えたまふ。いとどつつ ましけれど、端近ううちながめたまひけるさまながら、のど やかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近 う鳴きたるを、 水鶏だにおどろかさずはいかにして荒れたる宿に 月をいれまし いとなつかしう言ひ消ちたまへるぞ、 「とりどりに捨てがた き世かな。かかるこそなかなか身も苦しけれ」と思す。 「おしなべてたたく水鶏におどろかばうはの空なる月 もこそいれ うしろめたう」とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだし き筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ待ち過ぐし きこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。 「空 なながめそ」と、頼めきこえたまひしをりの事ものたまひ出 でて、 「などて、たぐひあらじ、といみじうものを思ひ

沈みけむ。うき身からは同じ嘆かしさにこそ」
とのたまへる も、おいらかにらうたげなり。例のいづこの御言の葉にかあ らむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。  かやうのついでにも、かの五節を思し忘れず。また見てし がな、と心にかけたまへれど、いと難きことにて、え紛れた まはず。女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこと もあれど、世に経んことを思ひ絶えたり。心やすき殿造りし ては、かやうの人集へても、思ふさまにかしづきたまふべき 人も出でものしたまはば、さる人の後見にも、と思す。かの 院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。よしあ る受領などを選りて、あてあてにもよほしたまふ。  尚侍の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。こりずまに たち返り、御心ばへもあれど、女はうきに懲りたまひて、昔 のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなかところせう、 さうざうしう世の中思さる。 治世の交替に伴って人々の動静も変化する

院はのどやかに思しなりて、時々につけて、 をかしき御遊びなど、好ましげにておはし ます。女御更衣みな例のごとさぶらひたま へど、春宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこと もなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、か くひきかへめでたき御幸ひにて、離れ出でて宮に添ひたてま つりたまへる。  この大臣の御宿直所は昔の淑景舎なり。梨壼に春宮はおは しませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮を も後見たてまつりたまふ。  入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天- 皇になずらへて、御封賜はらせたまふ。院司どもなりて、さま ことにいつくし。御行ひ功徳の事を、常の御営みにておはし ます。年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたま はぬ嘆きを、いぶせく思しけるに、思すさまにて参りまかで

たまふも、いとめでたければ、大后は、うきものは世なりけ り、と思し嘆く。大臣は事にふれて、いと恥づかしげに仕ま つり、心寄せきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、 人もやすからず聞こえけり。  兵部卿の親王、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、た だ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣はうきも のに思しおきて、昔のやうにも睦びきこえたまはず。なべて の世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、 なかなか情なきふしもうちまぜたまふを、入道の宮は、いと ほしう本意なきことに見たてまつりたまへり。  世の中の事、ただ、なかばを分けて、太政大臣この大臣の 御ままなり。  権中納言の御むすめ、その年の八月に参らせたまふ。祖父- 殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。兵部卿宮の中の君も、 さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、人より

まさりたまへ、としも思さずなむありける。いかがしたまは むとすらむ。 源氏・明石の君、それぞれ住吉参詣をする その秋、住吉に詣でたまふ。願どもはたし たまふべければ、いかめしき御歩きにて、 世の中ゆすりて、上達部殿上人、我も我も と仕うまつりたまふ。  をりしもかの明石の人、年ごとの例の事にて詣づるを、去- 年今年はさはる事ありて怠りけるかしこまり、とり重ねて思 ひ立ちけり。舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど見れば、 ののしりて詣でたまふ人のけはひ渚に満ちて、いつくしき 神宝を持てつづけたり。楽人十列など装束をととのへ容貌を 選びたり。 「誰が詣でたまへるぞ」と問ふめれば、 「内大臣殿 の御願はたしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」とて、 はかなきほどの下衆だに心地よげにうち笑ふ。げに、あさま しう、月日もこそあれ、なかなか、この御ありさまをはるか

に見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがにかけ離れたて まつらぬ宿世なから、かく口惜しき際の者だに、もの思ひな げにて仕うまつるを色節に思ひたるに、何の罪深き身にて、 心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響き をも知らで立ち出でつらむなど思ひつづくるに、いと悲しう て、人知れずしほたれけり。  松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる、 袍衣の濃き薄き数知らず。六位の中にも蔵人は青色しるく見 えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監も靫負になりて、こと ごとしげなる随身具したる蔵人なり。良清も同じ佐にて、人 よりことにもの思ひなき気色にて、おどろおどろしき赤衣姿 いときよげなり。すべて見し人々ひきかへ華やかに、何ごと 思ふらむと見えてうち散りたるに、若やかなる上達部殿上人 の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りをととのへ 磨きたまへるは、いみじき見物に、田舎人も思へり。

 御車をはるかに見やれば、 なかなか心やましくて、恋し き御影をもえ見たてまつらず。 河原の大臣の御例をまねびて、 童随身を賜はりたまひける。 いとをかしげに装束き、角髪結ひて、紫裾濃の元結なまめ かしう、丈姿ととのひうつくしげにて十人、さまことに今め かしう見ゆ。大殿腹の若君、限りなくかしづき立てて、馬副- 童のほど、みなつくりあはせて、やうかへて装束きわけたり。 雲ゐはるかにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさ まにてものしたまふをいみじと思ふ。いよいよ御社の方を拝 みきこゆ。  国守参りて、御設け、例の大臣などの参りたまふより は、ことに世になく、仕うまつりけむかし。いとはしたなけ れば、 「立ちまじり、数ならぬ身のいささかの事せむに、

神も見入れ数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空な り。今日は難波に舟さしとめて、祓をだにせむ」
とて、漕ぎ 渡りぬ。  君はゆめにも知りたまはず、夜一夜いろいろの事をせさせ たまふ。まことに神のよろこびたまふべき事をし尽くして、 来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで遊びののしり明 かしたまふ。惟光やうの人は、心の中に神の御徳をあはれに めでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるにさぶらひ て、聞こえ出でたり。 すみよしのまつこそものは悲しけれ神代のことをか けて思へば げに、と思し出でて、 「あらかりし浪のまよひにすみよしの神をばかけてわ すれやはする しるしありな」とのたまふも、いとめでたし。

 かの明石の舟、この響きにおされて、過ぎぬる事も聞こゆ れば、知らざりけるよ、とあはれに思す。神の御しるべを思 し出づるもおろかならねば、 「いささかなる消息をだにして 心慰めばや。なかなかに思ふらむかし」と思す。御社立ちた まて、所どころに逍遥を尽くしたまふ。難波の御祓、七瀬に よそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、 「今はた同 じ難波なる」と、御心にもあらでうち誦じたまへるを、御車 のもと近き惟光、承りやしつらむ、さる召しもや、と例に ならひて懐に設けたる、柄短き筆など、御車とどむる所にて 奉れり。をかしと思して、畳紙に、 みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけ るえには深しな とてたまへれば、かしこの心知れる下人してやりけり。駒並 めてうち過ぎたまふにも心のみ動くに、露ばかりなれど、い とあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。

数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし 思ひそめけむ 田蓑の島に禊仕うまつる、御祓のものにつけて奉る。日暮 れ方になりゆく。タ潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほど のあはれなるをりからなればにや、人目もつつまずあひ見ま ほしくさへ思さる。 露けさのむかしに似たる旅ごろも田蓑の島の名には かくれず  道のままに、かひある逍遥遊びののしりたまへど、御心に はなほかかりて思しやる。遊女どもの集ひ参れる、上達部と 聞こゆれど、若やかに事- 好ましげなるは、みな目 とどめたまふべかめり。 されど、いでや、をかし きことももののあはれも

人からこそあべけれ、なのめなることをだに、すこしあは き方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを、と思 すに、おのが心をやりてよしめきあへるも、うとましう思 しけり。  かの人は過ぐしきこえて、またの日ぞよろしかりければ、 幣帛奉る。ほどにつけたる願どもなど、かつがつはたしける。 またなかなかもの思ひ添はりて、明け暮れ口惜しき身を思ひ 嘆く。今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず御使あり。 このごろのほどに迎へむことをぞのたまへる、 「いと頼もし げに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、 中空に心細き事やあらむ」と思ひわづらふ。入道も、さて出 だし放たむはいとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐ さむを思はむも、なかなか来し方の年ごろよりも、心づくし なり。よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。 源氏、帰京して六条御息所の病を見舞う

まことや、かの斎宮もかはりたまひにしか ば、御息所上りたまひて後、変らぬさま に、何ごともとぶらひきこえたまふことは、 あり難きまで情を尽くしたまへど、昔だにつれなかりし御心 ばへの、なかなかならむなごりは見じ、と思ひ放ちたまへれ ば、渡りたまひなどすることは、ことになし。あながちに動 かしきこえたまひても、わが心ながら知りがたく、とかくか かづらはむ御歩きなども、ところせう思しなりにたれば、強 ひたるさまにもおはせず。斎宮をぞ、いかにねびなりたまひ ぬらむ、とゆかしう思ひきこえたまふ。  なほ、かの六条の古宮をいとよく修理しつくろひたりけれ ば、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること古 りがたくて、よき女房など多く、すいたる人の集ひ所にて、 ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、 にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されけ

れば、罪深き所に年経つるも、いみじう思して、尼になりた まひぬ。  大臣聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさ る方のものをも聞こえあはせ人に思ひきこえつるを、かく思 しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、驚きながら渡りた まへり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞こえたまふ。近き御- 枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こ えたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざ しのほどはえ見えたてまつらでやと口惜しうて、いみじう泣 いたまふ。かくまでも思しとどめたりけるを、女もよろづに あはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。 「心- 細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたま へ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。 かひなき身ながらも、いましばし世の中を思ひのどむるほど は、とざまかうざまにものを思し知るまで見たてまつらむ、

とこそ思ひたまへつれ」
とても、消え入りつつ泣いたまふ。 「かかる御事なくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにも あらぬを、まして心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこ えむとなん思うたまふる。さらにうしろめたくな思ひきこえ たまひそ」など聞こえたまへば、 「いと難きこと。まこと にうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親に離れぬる は、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして思ほし人 めかさむにつけても、あぢきなき方やうちまじり、人に心も おかれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさ やうの世づいたる筋に思し寄るな。うき身をつみはべるにも、 女は思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、 いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる」 など聞こえたまへば、あいなくものたまふかな、と思せど、 「年ごろによろづ思うたまへ知りにたるものを、昔のすき 心のなごりあり顔にのたまひなすも本意なくなむ。よしおの

づから」
とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかに物より 透りて見ゆるを、もしもやと思して、やをら御几帳のほころ びより見たまへば、心もとなきほどの灯影に、御髪いとをか しげにはなやかに削ぎて、寄りゐたまへる、絵に描きたらむ さまして、いみじうあはれなり。帳の東面に添ひ臥したま へるぞ宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるよ り、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの 悲しとおぼいたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげ ならむと見ゆ。御髪のかかりたるほど、頭つきけはひ、あて に気高きものから、ひぢぢかに愛敬づきたまへるけはひしる く見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、さばかりのたま ふものを、と思し返す。 「いと苦しさまさりはべり。かたじけなきを、はや渡 らせたまひね」とて、人にかき臥せられたまふ。 「近く参 り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心-

苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」
とて、のぞきたまふ気- 色なれば、 「いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいと かく限りなるをりしも渡らせたまへるは、まことに浅からず なむ。思ひはべることをすこしも聞こえさせつれば、さりと もと頼もしくなむ」と聞こえさせたまふ。 「かかる御遺言 の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たちあ またものしたまへど、親しく睦び思ほすもをさをさなきを、 上の同じ御子たちの中に数まへきこえたまひしかば、さこそ は頼みきこえはべらめ。すこし大人しきほどになりぬる齢な がら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」など聞こえ て、帰りたまひぬ。御とぶらひいますこしたちまさりて、し ばしばきこえたまふ。 六条御息所死去 源氏、前斎宮をいたわる 七八日ありて亡せたまひにけり。あへなう 思さるるに、世もいとはかなくて、もの心- 細く思されて、内裏へも参りたまはず、と

かくの御事などおきてさせたまふ。また頼もしき人もことに おはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたる ぞ、わづかに事ども定めける。  御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。 「何ごともおぼえはべらでなむ」と、女別当して聞こえ たまへり。 「聞こえさせのたまひおきしこともはべしを、 今は隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」と聞こえたま ひて、人々召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと 頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いと いかめしう、殿の人々数もなう仕うまつらせたまへり。  あはれにうちながめつつ、御精進にて、御簾おろしこめて 行はせたまふ。宮には、常にとぶらひきこえたまふ。やうや う御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。 つつましう思したれど、御乳母など、 「かたじけなし」と、 そそのかしきこゆるなりけり。

 雪霙かき乱れ荒るる日、いかに宮の御ありさまかすかに ながめたまふらむ、と思ひやりきこえたまひて、御使奉れた まへり。 「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。 降りみだれひまなき空に亡きひとの天かけるらむ宿ぞか なしき」 空色の紙の、くもらはしきに書いたまへり。若き人の御目に とどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあや なり。宮はいと聞こえにくくしたまへど、これかれ、 「人づ てには、いと便なきこと」と責めきこゆれば、鈍色の紙の、 いとかうばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして、 消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それと も思ほえぬ世に つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれては あらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。下りたまひし ほどより、なほあらず思したりしを、今は心にかけてともか

くも聞こえ寄りぬべきぞかし、と思すには、例のひき返し、 「いとほしくこそ、故御息所のいとうしろめたげに心おきた まひしを、ことわりなれど、世の中の人もさやうに思ひより ぬべきことなるを、ひき違へ心清くてあつかひきこえむ。上 のいますこしもの思し知る齢にならせたまひなば、内裏住み せさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこ そ」と思しなる。  いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべきをり をりは渡りなどしたまふ。 「かたじけなくとも、昔の御な ごりに思しなずらへてけ遠からずもてなさせたまはばなむ、 本意なる心地すべき」など聞こえたまへど、わりなくもの恥 ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞 かせたてまつらむは、いと世になくめづらかなることと思し たれば、人々も聞こえわづらひて、かかる御心ざまを愁へき こえあへり。 「女別当内侍などいふ人々、あるは離れたてま

つらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。 この人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人 に劣りたまふまじかめり。いかでさやかに御容貌を見てしが な」
と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。 わが御心も定めがたければ、かく思ふといふことも、人にも 漏らしたまはず。御わざなどの御事をもとり分きてせさせた まへば、あり難き御心を宮人もよろこびあへり。 前斎宮の悲しみの日々と朱雀院の執心 はかなく過ぐる月日にそへて、いとどさび しく、心細きことのみまさるに、さぶらふ 人々もやうやうあかれゆきなどして、下つ 方の京極わたりなれば、人げ遠く、山寺の入相の声々にそへ ても、音泣きかちにてぞ過ぐしたまふ。同じき御親と聞こえ し中にも、片時の間も立ち離れたてまつりたまはでならはし たてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは 例なき事なるを、あながちに誘ひきこえたまひし御心に、

限りある道にてはたぐひきこえたまはずなりにしを、干る世 なう思し嘆きたり。  さぶらふ人々、貴きも賤しきもあまたあり。されど大臣の 「御乳母たちだに、心にまかせたること、ひき出だし仕うま つるな」など、親がり申したまへば、いと恥づかしき御あり さまに、便なきこと聞こしめしつけられじ、と言ひ思ひつつ、 はかなきことの情もさらにつくらず。  院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、 ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきけ れば、 「参りたまひて、斎院など御はらからの宮々おはしま すたぐひにて、さぶらひたまへ」と、御息所にも聞こえたま ひき。されど、やむごとなき人々さぶらひたまふに、数々な る御後見もなくてやと思しつつみ、上はいとあつしうおはし ますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはん、と憚り過ぐ したまひしを、今はまして誰かは仕うまつらむ、と人々思ひ

たるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。 源氏、藤壺にはかり斎宮の入内を計画する 大臣聞きたまひて、院より御気色あらむを、 ひき違へ横取りたまはむを、かたじけなき 事と思すに、人の御ありさまのいとらうた げに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたま ひける。 「かうかうの事をなむ思うたまへわづらふに、母御息所 いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなきす き心にまかせて、さるまじき名をも流し、うきものに思ひお かれはべりにしをなん、世にいとほしく思ひたまふる。この 世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、いまはとな りての際に、この斎宮の御ことをなむものせられしかば、さ も聞きおき、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたま ひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。おほかたの世に つけてだに、心苦しきことは見聞き過ぐされぬわざにはべる

を、いかで亡き蔭にてもかの恨み忘るばかり、と思ひたまふ るを、内裏にもさこそ大人びさせたまへど、いときなき御齢 におはしますを、すこしものの心知る人はさぶらはれてもよ くやと思ひたまふるを、御定めに」
など聞こえたまへば、 「いとよう思し寄りけるを。院にも思さむことは、げにか たじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて 知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。今はた、さやうの 事わざとも思しとどめず、御行ひがちになりたまひて、か う聞こえたまふを、深うしも思し咎めじと思ひたまふる」 「さらば御気色ありて数まへさせたまはば、もよほしばか りの言を添ふるになしはべらむ。とざまかうざまに思ひたま へ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へもまねびはべ るに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」など聞こえたまて、 後には、げに知らぬやうにてここに渡したてまつりてむ、と 思す。女君にも、 「しかなん思ふ。語らひきこえて過ぐい

たまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」
と、聞こえ知 らせたまへば、うれしきことに思して、御わたりの事をいそ ぎたまふ。  入道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騒ぎた まふめるを、大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ、 と心苦しく思す。  権中納言の御むすめは、弘徽殿女御と聞こゆ。大殿の御子 にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。上もよき御遊び がたきに思いたり。 「宮の中の君も同じほどにおはすれば、 うたて雛遊びの心地すべきを、大人しき御後見は、いとうれ しかべいこと」と思しのたまひて、さる御気色聞こえたまひ つつ、大臣のよろづに思しいたらぬことなく、公方の御後- 見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ば への、いとあはれに見えたまふを、頼もしきものに思ひきこ えたまひて、いとあつしくのみおはしませば、参りなどした

まひても、心やすくさぶらひたまふことも難きを、すこし 大人びて、添ひさぶらはむ御後見は、必ずあるべきことなり けり。
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